蓬髪ほうはつ)” の例文
旧字:蓬髮
今は蓬髪ほうはつの、病んだ精神のうらぶれた中年男として、町を歩いている。彼は眼をあちこちに動かしながら、浦島太郎の歌を考えていた。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
僧徒らの衣形は、誤ち求めて山に入りたる若僧を除き、ことごとく蓬髪ほうはつ裸足はだしにして僧衣よごれ黒みたれど、醜汚の観を与うるに遠きを分とす。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
人は事なく百年も長生きすることはほとんどできないものである。ついには歳月のために尊むべき蓬髪ほうはつを頭のまわりに生ずるのが普通である。
私はつい苦笑すると、彼は益々顔面に深いしわを刻んで、それ見ろ至極しごく難題で困ったろうとでも云うみたいに、胡麻塩ごましお蓬髪ほうはつをくさくさ掻き立てたのだ。
(新字新仮名) / 金史良(著)
窓は北向きで、すすけた障子が冷たい光に染まっており、その光が、こちらへ背を向けた老人の、たくましく広い背や、灰色になった蓬髪ほうはつをうつしだしていた。
蓬髪ほうはつは昔のままだけれども哀れに赤茶けて薄くなっており、顔は黄色くむくんで、眼のふちが赤くただれて、前歯が抜け落ち、絶えず口をもぐもぐさせて
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
T君の山男のような蓬髪ほうはつとしわくちゃによごれやつれた開襟かいきんシャツの勇ましいいで立ちを、スマートな近代的ハイカーの颯爽さっそうたる風姿と思い比べているうちに
小浅間 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
太いまゆの下の冷笑的な小さな眼、蓬髪ほうはつの上に卵形にもち上がってる禿げた脳天、毛むくじゃらの耳、ひどく笑うときには井のようにうち開く前歯のぬけた黒い口
ごんごん胡麻ごまは老婆の蓬髪ほうはつのようになってしまい、霜に美しくけた桜の最後の葉がなくなり、けやきが風にかさかさ身を震わすごとに隠れていた風景の部分が現われて来た。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
武州小川の大塚梧堂ごどう君の話では、夜道怪は見た者はないけれども、蓬髪ほうはつ弊衣へいいあかじみた人が、大きな荷物を背負うてあるくのを、まるで夜道怪のようだと土地ではいうから
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あたまは、あれからも伸び放題な蓬髪ほうはつだった。それを渋染の布で粽頭巾ちまきずきんにしてつつむ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の引金にかかった理性の際限が、群集と一緒に、バネのように伸縮した。と、その先端へ、乱れた蓬髪ほうはつの海が、速力を加えて殺到した。同時に、印度人の警官隊から銃が鳴った。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
『山海経』に崑崙の西に玉山あり西王母せいおうぼ居る、〈西王そのかたち人のごとし、豹尾虎歯にして善く嘯く、蓬髪ほうはつ勝をいただく、これ天の厲(厲はわざわいなり)および五残(残殺の気なり)を司る〉。
わしののろいをいれよ! (岩かどに突立つ。烈風蓬髪ほうはつを吹く。俊寛両手を天に伸ばす)わしはあらゆる悪鬼の名によって呪うたぞ! 清盛きよもりは火に焼けて死ね。宗盛むねもりの首はきゅうせられよ。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
夕闇ゆうやみが迫って来た。城内の廊下も薄暗い。その時、蓬髪ほうはつで急ぎ足に向こうから廊下を踏んで来るものがある。その人こそ軍艦奉行、兼外務取り扱いとして、江戸から駆けつけて来た彼の友人だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
蓬髪ほうはつ垢面こうめん——酒の香がぷんとただよう。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
蓬髪ほうはつの男蹌踉よろめ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
彼の蓬髪ほうはつもぶしょう髭も、その着ているぼろ布子も、絞るほど濡れてしまったし、蓬髪からたれる雨のしずくが、額から頬、そしてあごくびへとしたたり落ちた。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
汚いシャツに色のさめたこん木綿もめんのズボン、それにゲエトルをだらしなく巻きつけ、地下足袋じかたび蓬髪ほうはつ無帽という姿の父親と、それから、髪は乱れて顔のあちこちにすすがついて
たずねびと (新字新仮名) / 太宰治(著)
そこに乞食こじきが一人、いつ見ても同じ所で陽春の日光に浴しながらしらみをとっていた。言葉どおりにぼろぼろの着物をきて、ほおかぶりをした手ぬぐいの穴から一束の蓬髪ほうはつが飛び出していたように思う。
蒸発皿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
海浜の宿の籐椅子とういすに、疲れ果てた細長いからだを埋めて、まつげの長い大きい眼を、まぶしそうに細めて海を見ている。蓬髪ほうはつは海の風になぶられ、ひんのよい広い額に乱れかかる。
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
呼びかけた一羽の烏は、無帽蓬髪ほうはつの、ジャンパー姿で、せて背の高い青年である。
渡り鳥 (新字新仮名) / 太宰治(著)
痩躯そうく、一本の孟宗竹もうそうちく蓬髪ほうはつ、ぼうぼうの鬚、血の気なき、白紙に似たる頬、糸よりも細き十指、さらさら、竹の騒ぐが如き音たてて立ち、あわれや、その声、老鴉ろうあの如くにしわがれていた。
喝采 (新字新仮名) / 太宰治(著)
髪の毛は、いくぶん長く、けれども蓬髪ほうはつというほどのものではなし、それかと言ってポマアドで手入れしている形跡も見えない。あたりまえの鉄縁の眼鏡を掛けている。はなはだ、非印象的である。
花燭 (新字新仮名) / 太宰治(著)
無帽蓬髪ほうはつ、ジャンパー姿のせた青年は、水鳥の如くぱっと飛び立つ。
渡り鳥 (新字新仮名) / 太宰治(著)