篆刻てんこく)” の例文
父は詩をつくることと篆刻てんこくが少年時代の趣味だったそうで、楠の小引出しにいろいろと彫った臘石があったのを私も憶えている。
本棚 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それは表札が家不相応にしゃれた篆刻てんこくで雅号らしい名を彫り付けてあるからである。六、七年ほど前からポインター種の犬を飼っている。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ふたりの警吏は、偽筆の名人蕭譲しょうじょうと、篆刻てんこくの達人金大堅きんたいけんでした。そのほか捕手頭には李俊、馬麟ばりん、張順などが付いて行ったもの。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方の隣がもう珍らしいものになっている板木師はんぎしで、篆刻てんこくなんぞには手を出さぬ男だから、どちらも爺いさんの心の平和を破るようなおそれはない。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
執事は頭を下げて次のに下らうとした。その途端篆刻てんこく家の桑名鉄城氏ががつしりした肩を揺がしながら入つて来た。
山田泰雲君は元篆刻てんこく師の弟子であったが、芦野楠山先生の世話で師のゆるしを得て私の門下となった。大分出来て来て、これからという処で病歿しました。
篆刻てんこくは固より古書画、骨董等、洋の東西を問わず古今に偏せず良いものを良しとなす貧弱ではありますが、好事家趣味家の一人だと思っているものです。
近作鉢の会に一言 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
書画、篆刻てんこくとうを愛するに至りしも小穴一游亭に負ふ所多かるべし。天下に易々いいとして古玩を愛するものあるを見る、われは唯わがさが迂拙うせつなるをたんずるのみ。
わが家の古玩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そこから自ずから彼は表具もやれば刀を採って、木彫篆刻てんこくの業もした。字は宋拓を見よう見真似みまねに書いた。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あたしはおしがった、それはいつぞや、帰りぎわに、淡路町のやしきで、静な室を二室抜いて、彼女の篆刻てんこくが飾ってあったのを見せられた時、どれか上げたいといったのを
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ところがもと/\趣味として篆刻てんこくを楽しむ程度以上にこのみちに深入りする気はなかつた私である。
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
尾張一ノ宮の家を去って江戸に来り、上野東叡山の或学寮に寄寓し、日々枕山が三枚橋の家に来って共に詩学を研鑽し、かたわら生計のために篆刻てんこくをなしたが依頼する者もなかった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
来るたびに自分の国の景色けいしょくやら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。篆刻てんこくうまいという事も話した。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
書画篆刻てんこくそのほか楽焼陶器に妙を得て風流に浮身をやつす。そのくせ、才気もあっていろいろ新案のある中に、例の寒山寺箱と称する唐本型の巻紙封筒入れなど、ひとかどの商品価値。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
法水が横腹にある観音開きの扉を開くと、上部には廻転琴オルゴール装置があって、その下が時計の機械室だった。しかし、その時扉の裏側に、はしなくも異様な細字の篆刻てんこくを発見したのである。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ことに兄は書も善くし、も出来、篆刻てんこくも出来る程の多芸な人に、その弟はこの通りな無芸無能、書画はさて置き骨董も美術品も一切いっさい無頓着むとんじゃく住居すまいの家も大工任せ、庭園の木石も植木屋次第
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
篆刻てんこくの美は、死の海に泛んだ生の美の象徴ではなかったか。
此年享和三年十月七日に、蘭軒が渡辺東河を訪うて、始て伴粲堂ばんさんだうに会つたことが、蘭軒雑記に見えてゐる。粲堂、通称は平蔵である。煎茶をたしみ、篆刻てんこくを善くした。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
コレアルハ六朝りくちょうヨリ始ル。然レドモ唐宋大賢ノ文ヲルニ直ニ胸臆きょうおくヲ抒シ通暢つうちょう明白ニシテ切ニ事理ニ当ル。ノ彫虫篆刻てんこくスル者トハ背馳はいちセリ。名ハ集ナリトイヘドモ実ハ子ナリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷さんや露路ろじの奥に、句と書と篆刻てんこくとを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。
魚河岸 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして、しばらくその篆刻てんこく文をみつめていたが、やがて
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
畏堂小林氏と同じく信州松代まつしろの城主真田信濃守幸教さなだしなののかみゆきのりの家臣である。秋航は江戸の儒者西島蘭渓にしじまらんけいの義子で、『湖山楼詩屏風』の言う所によれば、詩賦書画篆刻てんこく等を善くした多芸の才人である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
書、篆刻てんこくうたひまひ、長唄、常盤津ときはず歌沢うたざは、狂言、テニス、氷辷こほりすべとう通ぜざるものなしと言ふに至つては、誰か唖然あぜんとして驚かざらんや。然れども鹿島さんの多芸なるは僕の尊敬するところにあらず。
田端人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それから実印を取って篆刻てんこくした文字を燈火あかりにかざして見たりしている。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)