“相良(さがら)” の例文
「遠州相良(さがら)の者で、同國といふだけでございます。私と母が江戸へ出て、頼るところも無くて困つて居るのを、引取つてくれました」
これへ、秋月寂心の兵数千も味方に参(さん)じ、日和見(ひよりみ)だった深堀、龍造寺、相良(さがら)、杉、富光(とみみつ)などの小武族も、ぞくぞく陣へ投(とう)じて来る。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「また、相良(さがら)先生の教えをも朝夕親しく受けた身ではないか。一時の夢か。ゆ、夢ならさめてくれ。これ、遊佐、守人が拝むぞ」
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「落ちゆく先きは九州相良(さがら)とか何とかいわなかったかね。——とうとう、水商売が身につかずさ、九州へ行っていったい何をするのかねえ……」
泣虫小僧 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
遠州相良(さがら)在(ざい)の農家の十六の少年、夜中の一時ごろに便所に出たまま戻らず、しばらくすると悲鳴の声が聞えるので、両親が飛び起きて便所を見たがいない。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「落ち行く先は、九州相良(さがら)……というわけではないが、肥後の熊本まで、退引(のっぴき)ならずお供を仰せつかりそうだ」
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
水にて洗ひ落せば這は如何に弟九郎兵衞なりしかば座中(ざちう)の人々惘(あき)れ果(はて)て皆(みな)脱々(ぬけ/\)に歸りける組頭(くみがしら)の兩人は據(よんど)ころなく跡に殘(のこ)りて兄九郎右衞門は相良(さがら)へ突出(つきだ)すと云うを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「———下妻さんとか仰(お)っしゃるお方と、相良(さがら)さんとか仰っしゃるお方が御一緒でいらっしゃいます」
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
江戸にもいられず領国相良(さがら)の、自分の城へも帰って行けず、他人の領地へ他人の名義で、ひそかに造り設けたという、浅間山麓の山屋敷へ、こっそり落ちて行こうとして
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
当人がもとの通りでいいと云うのに延岡下(くんだ)りまで落ちさせるとは一体どう云う了見(りょうけん)だろう。太宰権帥(だざいごんのそつ)でさえ博多(はかた)近辺で落ちついたものだ。河合又五郎(かあいまたごろう)だって相良(さがら)でとまってるじゃないか。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「相良(さがら)がいつかあなたに申し込んだことがあるそうですね」
おばな沢 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「イヨ/\、九州(しゅう)相良(さがら)だね」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
つづいては九州の大友、相良(さがら)、島津らの後陣も馳(は)せさんずるにちがいなく——それにこの地にあれば兵糧の憂いもないこと。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
社へ行くと、まだ相棒さんは見えなくて、若い重役の相良(さがら)さんが一人で、二階の広い重役室で新聞を読んでいた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
と言った壮士は、おたがいに呼ぶところの名をもってすれば、相良(さがら)と言ったり、小島と言ったりする。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それから、後で風の便りに聞けば、この娘の悲運と老夫の横死を嘆き、主君出羽を恨みにうらんで、母はついに出羽の藩地、遠州相良(さがら)の空を白眼(にら)んで自害して果てたという。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「それぢやおつ母ア、お信さん、道中氣をつけて、眞つ直ぐに故郷の遠州相良(さがら)へ歸るんだぜ。旅には慣れて居るやうだが、水當り、食中(あた)り、ことに胡摩(ごま)の蠅に氣をつけるやうに」
〽そもそもわっちが在所は、遠州相良(さがら)の城にて、七つ星から、軽薄ばかりで、お側へつん出て、ご用をきくやら、老中になるやら、それから聞きねえ、大名役人役替えさせやす。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
持參なし引替(かへ)にして百八十兩の金を能も騙(かた)り取れたなイヤサ東海道五十三次(つぎ)品川から大津(おほつ)まで名を賣て居る此水田屋藤八を能も誑(だま)し騙(かた)つたなサア此上は相良(さがら)の役所へ拘引(おびき)出(だ)し面(つら)の皮を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
『肥後国誌』巻十三に採録した『響原(ひびきはら)合戦覚書』に相良(さがら)家の軍評定(いくさひょうじょう)のことを記して
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「そら、落ち行く先きは九州相良(さがら)って云うじゃないか」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と、思いながら、白ずくめの行人姿は、しばらく呆気(あっけ)にとられていました。いうまでもなく、彼は相良(さがら)金吾です。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弱冠なる貴公子が取って動かない気象のほど、侮り難いと見て、相良(さがら)総蔵が代って答えました
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
おゆうさんと相良(さがら)うじが大阪に仮寓(かぐう)のころ、あんたに乳をふくませた乳母(うば)じゃとかいう。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「よく覺えて居ります。晝前に相良(さがら)樣御用人、晝頃稻葉佐仲樣、晝過ぎに田熊丹後樣」
なし非人(ひにん)乞食(こつじき)取込で相良(さがら)の町へ引出されしは屠所(としよ)の歩行の未の上刻是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
来(らい)の了戒(りょうかい)の大刀に、衰えた肩をもたせかけ、膝を友禅(ゆうぜん)の小蒲団にくるんで、相良(さがら)金吾は昏々(こんこん)と眠っております。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
続いて天明六年に将軍家治薨(こう)じ、異薬を勧めたという名で田沼主殿頭は退けられ、翌七年には遠州相良(さがら)五万七千石の所領を召上(めしあ)げられて閉居、八年には田沼の頽勢も一瞬にして壊滅
「父は相良(さがら)と申しましてございます」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
内陣からおどり出して、待てと、自分の前に立ちふさがった侍、日本左衛門は、それも捕手(とりて)役人のひとりかと思いましたが、意外です。相良(さがら)金吾でありました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「相良(さがら)党もだ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)