比企ひき)” の例文
門外おもてみちは、弓形ゆみなり一條ひとすぢ、ほの/″\としろく、比企ひきやつやまから由井ゆゐはま磯際いそぎはまで、なゝめかさゝぎはしわたしたやうなり
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
仕事として大きいのは比企ひき小川おがわ町の手漉紙てすきがみであります。川に沿うて点々と昔ながらの紙漉場かみすきばを見られるでしょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
もっとも、それが南下してきた道すじの児玉郡や比企ひき地方は、古来“武蔵七党”の山野であり、熊谷、秩父ちちぶなどの無数の古源氏ふるげんじ蟠踞ばんきょしているところである。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵の比企ひき飯田いいだ石船いわぶね権現というのは、以前は船の形をした一尺五寸ばかりの石が御神体でありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
予には比企ひきの判官能員よしかずの娘若狹といへる側女そばめありしが、能員ほろびしそのみぎりに、不憫ふびんや若狹も世を去つた。今より後はそちが二代の側女、名もそのまゝに若狹と云へ。
修禅寺物語 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
これを我野通あがのどおりと称えて、高麗こまより秩父に入るの路とす。次には川越かわごえより小川にかかり、安戸に至るの路なり。これを川越通りと称え、比企ひきより秩父に入るの路とす。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
杉子たちのそばのその一かたまりとは別に、奥の鏡のところでかたまっていた連中の中から、唇のあたりをたかぶった正義感でつらしたような表情で比企ひきすげ子が叫ぶように云った。
杉子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
源氏重代の家来たち、和田・三浦・畠山はたけやま比企ひき朝比奈あさひな宇都宮うつのみやなどの諸豪族は北条氏に対する反感を深くしているのに乗じ、種々策謀して、次々に叛旗をひるがえさせては次第にこれを滅して行った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
比企ひき隆斎りゅうさい
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
門外おもての道は、弓形ゆみなり一条ひとすじ、ほのぼのと白く、比企ひきやつやまから由井ゆいはま磯際いそぎわまで、ななめかささぎの橋を渡したようなり
星あかり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
予には比企ひき判官はんがん能員よしかずの娘若狭わかさといえる側女そばめありしが、能員ほろびしそのみぎりに、不憫ふびんや若狭も世を去った。今より後はそちが二代の側女、名もそのままに若狭と言え。
修禅寺物語 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「横山とは、遠すぎる。もう甲斐かいに近い笹子山ささごやまのてまえになる。わしは比企ひきの郡司の庁まで行くところだから、あの近くの菅生すごうノ牧で、良い馬に、種付けしてもらうがいい」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
比企ひき郡松山町岩崎氏の古文書にも「松山根小屋の足軽衆云々」と見えている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
池の禅尼ぜんにが在世中、年に一度ずつ都から送ってくれた衣裳やら経巻やら高価な数珠じゅずなどはある。折々に、乳母の比企ひきつぼねから心づけては届けてくれた身まわりの調度や雑器などはある。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これあらば赤城家へ入込いりこむに便たよりあり造化至造妙しあわせよし莞爾にっこうなずき、たもとに納めて後をも見ず比企ひきやつの森を過ぎ、大町通って小町を越し、坐禅川を打渡って——急ぎ候ほどに、雪の下にぞ着きにける。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その他比企ひき菅谷すがや村大字大蔵の堀ノ内は、帯刀先生源義賢たてわきせんじょうみなもとよしかたの住んでいたいわゆる大蔵の館の跡といい、同郡玉川村大字玉川郷、北埼玉郡成田村大字上之かみの、南埼玉郡平野村井沼、同黒浜村江ヶ崎
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
武蔵には比企ひき郡にもそういう例がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それと、比企ひきつぼね
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)