文雅ぶんが)” の例文
つまをおさいといひ、俳名を翠仙すゐせんといふ、夫婦ともに俳諧をよく文雅ぶんがこのめり。此柏筵はくえんが日記のやうに書残かきのこしたるおいたのしみといふ随筆ずゐひつあり。
主水は兄の庄八郎やまた長兄の惣蔵が武勇一図の人間であるのと大いに趣きを異にしてきわめて文雅ぶんがの人物であった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もとより私の見方は、文章の上から見てのことばかりだが、後に多くの文雅ぶんががさうした書きかたをしたのを見ると、これを學んだのでないかと思ふほどだ。
まえの白菊の歌は、老公がかつて水戸の丸山まるやまに十景を選んで、淵明堂えんめいどうを建て、また、えんをひらいて文雅ぶんがつどいをした折、京のさる宮家みやけから光圀みつくにへ下賜されたお歌だった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
知らぬものは真の文雅ぶんがとおもひ、とひよるさへも多ければ、たちま諸国しよこくにもそのの名をかほらせ、枝葉えだはさかえ、それのみか、根堅ねがた名園めいゑんのこして年々ねん/\繁昌はんじやう、なみ/\の智恵ちゑ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
つまをおさいといひ、俳名を翠仙すゐせんといふ、夫婦ともに俳諧をよく文雅ぶんがこのめり。此柏筵はくえんが日記のやうに書残かきのこしたるおいたのしみといふ随筆ずゐひつあり。
こゝろ帰家かへりたきにありて風雅ふうがをうしなひ、古跡こせきをもむなしくよぎり、たゞ平々なみ/\たる旅人りよじんとなりて、きゝおよびたる文雅ぶんがの人をも剌問たづねざりしは今に遺憾ゐかんなり。嗟乎あゝとしけんせしをいかんせん。
こゝろ帰家かへりたきにありて風雅ふうがをうしなひ、古跡こせきをもむなしくよぎり、たゞ平々なみ/\たる旅人りよじんとなりて、きゝおよびたる文雅ぶんがの人をも剌問たづねざりしは今に遺憾ゐかんなり。嗟乎あゝとしけんせしをいかんせん。
神主かんぬし宮氏の家に貞和ぢやうわ文明ぶんめいの頃の記録きろく今にそんせり。当主たうしゆ文雅ぶんがこのみ吟詠ぎんえいにもとめり、雅名がめい正樹まさきといふ。同好どうこうを以てまじはりおさむ。幣下へいしたとなふ社家しやけ諸方しよはうにあまたある大社也。
されば近来も越地に遊ぶ文人墨客ぶんじんぼくかくあまたあれど、秋のすゑにいたれば雪をおそれて故郷ふるさと逃皈にげかへるゆゑ、越雪の詩哥しいかもなく紀行きかうもなし。まれには他国の人越後に雪中するも文雅ぶんがなきは筆にのこす事なし。