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ぶんが
まえの白菊の歌は、老公がかつて水戸の
丸山に十景を選んで、
淵明堂を建て、また、
園をひらいて
文雅の
集いをした折、京のさる
宮家から
光圀へ下賜されたお歌だった。
知らぬものは真の
文雅の
士とおもひ、
訪よるさへも多ければ、
忽ち
諸国にも
園の名を
馨らせ、
枝葉の
栄え、それのみか、
根堅き
名園を
斯く
遺して
年々の
繁昌、なみ/\の
智恵
妻をおさいといひ、俳名を
翠仙といふ、夫婦ともに俳諧を
能し
文雅を
好り。此
柏筵が日記のやうに
書残したる
老の
楽といふ
随筆あり。