挽歌ばんか)” の例文
大陸の暗い炭坑のなかでひしめいている人の顔や、熱帯のまぶしい白い雲が、騒然と音響をともないながら挽歌ばんかのように流れて行った。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
呂昇は巧みにそれらの弱点を突いて、情緒をさわがせ、酔わし、彼らの胸の埋火うずみび掻起かきおこさせ、そこへぴたりと融合する、情熱の挽歌ばんかを伴奏したのである。
豊竹呂昇 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
興奮した非常に病的な想像力が、すべてのものの上に硫黄のような光を投げていた。彼の即興の長い挽歌ばんかは、永久に私の耳のなかに鳴りひびくであろう。
そこにいくつとなく見出される挽歌ばんかの云うに云われない美しさに胸をしめつけられることの多いがためでした。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「生まるる時の早かりしか、或は又遅かりしか」は南蛮の詩人のなげきばかりではない。僕は福永挽歌ばんか、青木健作、江南文三えなみぶんざ等の諸氏にもかう云ふ歎を感じてゐる。
時々ベシーは仕事に氣をとられて繰返しを非常に長くゆつくり引張つた。「むかし、むかし」の一節が挽歌ばんかの悲痛極まる抑揚よくやうのやうに響いた。彼女は、ほかの小唄を唄ひ出した。
あとで聞いたら、その独唱者は音楽学校の教師のP夫人で、故人と同じスカンジナビアの人だという縁故から特にこの日の挽歌ばんかを歌うために列席したのであったそうである。
B教授の死 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
なお太子薨去のとき巨勢三杖大夫こせのみつえのまちぎみの奉ったという挽歌ばんか三首が「法王帝説」に載っている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
カピ長 婚儀こんぎためにと準備よういした一さい役目やくめへて葬儀さうぎよういはひのがくかなしいかね、めでたい盛宴ちさう法事ほふじ饗應もてなしたのしい頌歌しょうかあはれな挽歌ばんか新床にひどこはなはふむ死骸なきがらようつ。
式もた簡短であつた。単調子なかね、太鼓、鐃鈸ねうはちの音、回想おもひでの多い耳には其も悲哀な音楽と聞え、器械的な回向と読経との声、悲嘆なげきのある胸には其もあはれの深い挽歌ばんかのやうに響いた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
わらべ達の声 (遠き挽歌ばんかのごとく)……さようなら! 文麻呂!……
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
私は自己の階級に対してみずから挽歌ばんかを歌うものでしかありえない。
想片 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
これは挽歌ばんかとして、死霊をなごめる為の誇張した愛情である。
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
上宮太子の御歌は今日あまり知られていないようであるが、万葉集巻三挽歌ばんかのはじめに、上宮聖徳皇子出遊竹原之井之時見竜田山死人悲傷御作として、次の一首が記載されている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
万葉集のなかのすべての挽歌ばんかのいい味わいがあるのだろうと思われます。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
詩人の群はいみじき挽歌ばんかうたってひつぎの前を練りあるくであろう。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
大来皇女おおくのひめみこ挽歌ばんかにある「いそのうへにふる馬酔木あしびを手折らめど……」
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)