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せう
ところで、どういふ
譯で、そんな子
供の私が
寫眞などはじめるやうになつたかといへば、その
頃私は、三宅克巳氏
著の「
少年
寫眞術」
だもの、
何うして
学校の
先生をはじめ、
余所のものが
少々位のことで、
分るものか、
誰だつて
分りやしません。
仕方なくそれは
諦めたが、その
頃から
割合に手先の
器用な
私だつたので、「
少年
寫眞術」の
説明に
從つて、
私はとう/\寫
眞器自作を
志た。
これは
偶然「
少年
寫眞術」の
沿革史の一
節にも書いてあることだつたが、うちで
寫眞を
寫すといふと、いつもその上
野寫眞館へ出かけたもので
そして、
少々
病膏肓に入つたかなとやましくなると、なあに
運動のためだといふ風に
自分で
自分にいひ
譯してゐた。
といふのは、
少年
時代に両
親に
死に
別れた一人つ子の青木さんは、
僅かなその
遺産でどうにか
修学だけは
済ましたものの、全く
無財産の
身の上だつた。
そして時たま友
達なんかとどこともない
球突塲で
突いてはみるが、以前ほど
面白くない、持
點も百
點は
少々
無理になつてまあ八十
點といふ
處になつてしまつた。
それでも
去年一昨年あたりはまた
少々
興味が
戻つて來て、一
週間に一
度ぐらゐの
程度で和田英作
畫伯や小宮豐隆先生と時々手
合せの出來る近
所の
球突塲へ通つてゐたが