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寺町
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てらまち
ふりがな文庫
“
寺町
(
てらまち
)” の例文
芝居や
勧工場
(
くわんこうば
)
があつて、堺では一番繁華な所になつて居るのです。小学校の横を半町も東へ行きますと
寺町
(
てらまち
)
へ出ます。
私の生ひ立ち
(新字旧仮名)
/
与謝野晶子
(著)
お
孝
(
かう
)
が
買物
(
かひもの
)
に
出掛
(
でか
)
ける
道
(
みち
)
だ。
中里町
(
なかざとまち
)
から
寺町
(
てらまち
)
へ
行
(
ゆ
)
かうとする
突當
(
つきあたり
)
の
交番
(
かうばん
)
に
人
(
ひと
)
だかりがして
居
(
ゐ
)
るので
通過
(
とほりす
)
ぎてから
小戻
(
こもどり
)
をして、
立停
(
たちどま
)
つて、
少
(
すこ
)
し
離
(
はな
)
れた
處
(
ところ
)
で
振返
(
ふりかへ
)
つて
見
(
み
)
た。
迷子
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
前章市内の
閑地
(
あきち
)
を記したる
条
(
じょう
)
に述べた
鮫
(
さめ
)
ヶ
橋
(
はし
)
の如き、即ちその前後には
寺町
(
てらまち
)
と
須賀町
(
すがちょう
)
の坂が向合いになっている。また小石川
茗荷谷
(
みょうがだに
)
にも両方の
高地
(
こうち
)
が坂になっている。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
それから三条
寺町
(
てらまち
)
まで歩いて、いつもの紙屋で大判の
雁皮
(
がんぴ
)
を十枚と表紙用の厚紙を一枚買い、それを私の日記帳の大きさに
裁
(
た
)
って貰い、
皺
(
しわ
)
にならないように
巧
(
うま
)
く包装して貰って
鍵
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
場所は
寺町
(
てらまち
)
四条の浄教寺で、京都図書館長の湯浅半月氏を始め二三の
弾手
(
ひきて
)
が集まつたが、
聴衆
(
きゝて
)
はいつも十人そこ/\で、それも初めの一二段を聴くと、
何時
(
いつ
)
の間にかこそ/\逃げ出して
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
▼ もっと見る
保己一
(
ほきいち
)
の
男
(
だん
)
、
四谷
(
よつや
)
寺町
(
てらまち
)
に住む
忠雄
(
ただお
)
さんの祖父である。当時の流言に、次郎が安藤対馬守
信睦
(
のぶゆき
)
のために廃立の先例を取り調べたという事が伝えられたのが、この
横禍
(
おうか
)
の因をなしたのである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
そして街から街へ、先に云つたやうな裏通りを歩いたり、
駄菓子屋
(
だぐわしや
)
の前で
立留
(
たちどま
)
つたり、
乾物屋
(
かんぶつや
)
の
乾蝦
(
ほしえび
)
や
棒鱈
(
ぼうだら
)
や
湯葉
(
ゆば
)
を眺めたり、たうとう私は二條の方へ
寺町
(
てらまち
)
を
下
(
さが
)
り其處の
果物屋
(
くだものや
)
で足を留めた。
檸檬
(旧字旧仮名)
/
梶井基次郎
(著)
「
何
(
なに
)
一寸
(
ちよつと
)
」と曖昧な答をして、
寺町
(
てらまち
)
の通り迄
来
(
き
)
た。
暑
(
あつ
)
い時分の事なので、
町
(
まち
)
はまだ
宵
(
よひ
)
の
口
(
くち
)
であつた。
浴衣
(
ゆかた
)
を
着
(
き
)
た人が幾人となく代助の
前後
(
ぜんご
)
を通つた。代助には
夫
(
それ
)
が
唯
(
たゞ
)
動
(
うご
)
くものとしか見えなかつた。
それから
(新字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
窓から外を眺めますと、人通りの少くて町幅の広い
寺町
(
てらまち
)
に来て居ました。友吉はぱつぱつぱつ、ぱぱつ、ぱぱつと喇叭を吹きました。どんなにその音が私に悲しかつたでせう。
私の生ひ立ち
(新字旧仮名)
/
与謝野晶子
(著)
一箇所大きい寺のあるあたりには
塔中
(
たっちゅう
)
また
寺中
(
じちゅう
)
と呼ばれて小さい寺が幾軒も続いている。そして町の名さえ
寺町
(
てらまち
)
といわれた処は
下谷
(
したや
)
浅草
(
あさくさ
)
牛込
(
うしごめ
)
四谷
(
よつや
)
芝
(
しば
)
を始め各区に渡ってこれを見出すことが出来る。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
町
常用漢字
小1
部首:⽥
7画
“寺町”で始まる語句
寺町辺
寺町通