しやう)” の例文
出雲松平家の茶道さどうに、岸玄知げんちといふ坊主が居た。ある時、松江の市街まちはづれをぶらついてゐると、きたなしやうの垣根に花を持つた梅の樹が目についた。
むかし苗字めうじ武士階級ぶしかいきふ以上いじやうかぎられたが、維新いしん以來いらいしやう町人ちやうにんすべ苗字めうじゆるされたので、種々雜多しゆ/″\ざつた苗字めうじ出現しゆつげんし、苗字めうじうぢともせいともことになつて今日こんにちにいたつたのである。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
つきおそる/\私し共は越後國高田領たかたりやうの百しやうにて是なる女のをつと無實むじつの罪に落入おちいり遠からず死罪しざいに決し候へ共未だ存命にて入牢じゆらう仕つり居り候何卒御殿樣おんとのさまの御慈悲じひを以つて誠の御吟味ぎんみ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
とくと改められし處歳の頃四十三四百しやうていの男にて身の内にきず三ヶ處頭上づじやうよりほゝへ掛て切付しきず一ヶ所よりはら突通つきとほせし疵二ヶ所其わきからかさ一ぽんすてこれ有其からかさ澤瀉おもだかに岩と云字の印し付是あり懷中には鼻紙入はながみいれ藥包くすりつゝみ一ツほかに手紙一通あり其上書うはがき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
出す者なし此時末座まつざより一人の老人らうじん進み出ではゞかりながら御役人樣方へ申上ます私しは當村の草分くさわけ百姓にて善兵衞と申す者なるが當時たうじ此村は高廿八石にて百しやう二十二軒あるはなは困窮こんきうの村方なればかく御大勢長く御逗留ごとうりう有ては必死と難澁なんじふに及ぶべし澤の井の一でうさへ相分り申せば早速さつそく當村を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)