博徒ばくと)” の例文
ゲーブルの役の博徒ばくとの親分が二人も人を殺すのにそれが観客にはそれほどに悪逆無道の行為とは思われないような仕組みになっている。
映画雑感(Ⅳ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
かれの子分のしゃもじは国定忠治くにさだちゅうじ清水しみず次郎長じろちょうがすきであった、かれはまき舌でものをいうのがじょうずで、博徒ばくと挨拶あいさつを暗記していた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
彼らは顔にあたる焚火のほてりを手や足を挙げて防ぎながら、長雨につけこんで村に這入って来た博徒ばくとの群の噂をしていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ただ落語家の燕枝えんしの弟子であったとか博徒ばくとの子分であったとか饗庭篁村あえばこうそん氏の書生であったとかいう事のみが伝えられていた。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あいつのおやじは博徒ばくとの人でなしなんだ。つい先日監獄から帰って来たんだ。その間あの気の毒な婦は飲まず食わずにどんなに苦しんだか知れないや。
光の中に (新字新仮名) / 金史良(著)
得物得物を振りかざしてこちらへ走って来るではないか! 香具師やし博徒ばくと、遊芸人、破落戸ごろつきたちの群れであった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「それも、すこぶるあいまいで、浪人じゃと、ひとりがいえば、いや博徒ばくとらしかったという者もありで……」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三人は品川大井大森方面を縄張にしている匪徒ひとで、丹前は岡本と云う三百代言さんびゃくだいげんあがり、もみあげは松山と云って赤新聞の記者あがり、角刈は半ちゃんで通っている博徒ばくとであった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それは名物の博徒ばくと——長脇差の群であって、こういう場合には、ほとんど大手を振って集まって来て、おのおのしかるべき格式によって、賭場とばを立てるのが慣例でありました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
〔評〕長兵京師にやぶる。木戸公は岡部氏につてわざはいまぬかるゝことを得たり。のち丹波におもむき、姓名せいめいへ、博徒ばくとまじり、酒客しゆかくまじはり、以て時勢をうかゞへり。南洲は浪華なにはの某樓にぐうす。
それはほん者のゴロツキであって、陸を食いつめた博徒ばくとなどが、船乗りになっていた。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
「農家義人伝」はこの変化を「まじわり博徒ばくとに求む、けだかたきの所在を知らんと欲する也」
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
房州鋸山のこぎりやまに、石にて刻んだ五百羅漢があるが、首は大抵なくなっている。むかし博徒ばくとが、羅漢の首を懐中しておれば、必ず博変ばくちに勝つというマジナイのために盗み取ったとのことだ。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
つわ、飲むわ——博徒ばくとの仲間にはいって、人殺し兇状を重ね、とうとうほんものの泥棒渡世とせいをかせいで、伝馬町てんまちょうの大牢でも顔を売り、ついに、三宅島みやけじまに送られ、そこを破ってからは
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
が、悪い事にはこの吉蔵が博徒ばくとの親分で、昔「痩馬やせうまきち」と名乗って売り出してから、今では「今戸の親分」で通る広い顔になっている。しかもお由はその吉蔵親分の恋女房であった。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
博奕打ばくちうちのね」と芳村は云った、「あなたなどは知らないだろうが、賭場とばのたつときとか、博徒ばくとどうしの争いなどに、この刀を役立てるというわけです、人間のくずでなければやらない仕事ですがね、 ...
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
蔭でおかみも機嫌次第でさま/″\悪口を云うたが、顔を合わすと如才なく親切な口をきいた。彼女の家につど博徒ばくとの若者が、夏の夜帰よがえりによく新村入の畑にんで水瓜を打割って食ったりした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「それでも近藤勇ならいいよ、国定忠治くにさだちゅうじだの鼠小僧だの、博徒ばくとやどろぼうなどを見て喜んでるやつはくそだめへほうりこむがいい、おれは近藤勇だ」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
僧形そうぎょうの雲水、結綿ゆいわたの娘、ろうたけたる貴女、魔に似たる兇漢、遊女、博徒ばくと、不具者、覆面の武士、腕のない浪人、刺青ほりもののある百姓、虚無僧、乞食ものごい鮓箱すしばこをかついだ男、等、等
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれども埋めた人で、三日たって元の金を見た者がない。それは附近の博徒ばくとがそんな流言をしておいて、埋めた金をそっと掘り出してしまうのだとわかって、金を埋めるものはなくなった。
伝吉はある日ふとしたことから、「越後浪人えちごろうにん服部平四郎はっとりへいしろうと云えるもののいかりを買い、あわやりも捨てられん」とした。平四郎は当時文蔵ぶんぞうと云う、柏原かしわばら博徒ばくとのもとに用心棒をしていた剣客けんかくである。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ただこの四、五日のあいだ、必死に手伝ってくれた博徒ばくとの仲間や浪人たちは
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)