別墅べっしょ)” の例文
身のまわりの物をまとめた荷を下僕しもべに負わせて、花蔵院というところにある水野外記の別墅べっしょへ着いたのはその日のれがただった。
晩秋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そぞろに通り過ぎてゆきます……(あなたはドリアの別墅べっしょにあの後また行かれましたか?)……するともうあなたの足は疲れます。
消えんとしたる彼女かれが玉の緒を一たびつなぎ留め、九月初旬はじめより浪子は幾と看護婦を伴のうて再び逗子の別墅べっしょに病を養えるなりき。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
嘉永二年その年五十四、知友某氏が向島の別墅べっしょに居を定め『江頭百咏ひゃくえい』を著し、また人に勧められて自ら寿碣誌じゅけつしをつくった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
で、内蔵助もついに意を決して、七月二十八日、京、伏見、山科、大阪、赤穂などに散在する同志と円山重阿弥まるやまじゅうあみ別墅べっしょに会合した上、いよいよ仇討決行のむねを宣言した。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
ある大都市の近郊における田舎の別墅べっしょにあっては、それは時に大いにより高く、そしてその特殊の便益または地の利はそこにおいてはしばしば極めて高い支払を受ける。
犬その別墅べっしょに至り吠ゆる声を聞きて留守番が書簡を取り読み米を負うて還らしむ。
玉川のわたしを渡って、また十丁ばかり、長堤ちょうていを築いた様に川と共に南東走する低い連山の中の唯有る小山をじて百草園に来た。もと松蓮寺の寺跡じせきで、今は横浜の某氏が別墅べっしょになって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
今度のノーベル・プライズのために不意打ちをくらった世間が例のように無遠慮に無作法にあのボーアの静かな別墅べっしょを襲撃して、カメラを向けたり、書斎の敷物をマグネシウムの灰で汚したり
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ただそこここに二三の近世ふうな別墅べっしょなどがあって、その堂々たる構えや、よじれた鉄欄のついてる露台や、閉ざされたまっ白な板戸の上に色ガラスの種々な緑色が浮いて見える長い窓などで
酒井男爵の別墅べっしょから半町へだたった林の中にあった、それは瀟洒しょうしゃたるバンガロー式の小窓の多い建物で外見はむしろ貧しかったが内部の装飾の燦然きらびやかさは眼を驚かすばかりであると町の人達は云っていた。
温室の恋 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もの皆の枯れて別墅べっしょの閉しあり
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
狛君こまぎみ別墅べっしょ二楽亭
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
「もちろん密会の理由には触れなかったが、これこれの者が佐藤別墅べっしょに集まる、ということをそれとなくおれに告げてくれたんだ」
燕(つばくろ) (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かく思いつづけし武男は、一日あるひ横須賀におもむきしついでに逗子に下りて、かの別墅べっしょの方に迷い行けば、表の門は閉じたり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
すこぶる爽快を覚ゆると共にいよいよ老来の嘆あり。たまたま思出るは家府君かふくん禾原かげん先生の初て老眼鏡を掛けられし頃の事なり。時に一家湘南の別墅べっしょ豆園とうえんにありき。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私はほとんど毎日のように、子供たちといっしょにボルゲーゼの別墅べっしょへまいります。一昨日は、馬車でモーレ橋へまいりまして、それから徒歩でマリオ丘を一周しました。
その後は年内に白金の上杉家の別墅べっしょへ移られるはずだということまで聞きだしてきた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
北側にもう一段高くなって、ちらばらに武家の別墅べっしょがある他は、丘から向うの葉島谷にかけて、多く松やくぬぎの林と畑つづきである。
柘榴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
医師が勧むるまましかるべき看護婦を添えて浪子を相州逗子なる実家——片岡家の別墅べっしょに送りやりぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
竹渓は二、三の詩友と舟を隅田川すみだがわうかべて残花を賞し、また谷中にある林述斎はやしじゅっさい別墅べっしょをも訪うた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
で、前原は米屋五兵衛と変名へんみょうして、相生町三丁目に店借たながりして、吉良邸の偵察に従事するし、神崎は美作屋みまさかや善兵衛と名告なのって、上杉の白金の別墅べっしょにほど近い麻布谷町に一戸を構えた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
別墅べっしょ芝生しばふの上には、紫のアネモネの小川とすみれの池とが流れていた。日傘ひがさのような松のまわりには藤がからんでいた。そして都会の上を吹き過ぎる風は、パラチーノ丘の薔薇ばらの香りをもたらしていた。
しかも一方では、藩侯の別墅べっしょを造営するために、城下の東南にある田地(そこは領内屈指の沃土よくどであった)
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
林述斎が隅田川の風景を愛して橋場の辺に別墅べっしょを築きこれを鴎窼おうそうと命名したのは文化六年である。その詩集『濹上漁謡』に花時の雑沓をきらって次の如くに言ったものがある。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「あだこの話なんだが、津軽の藩主の別墅べっしょに鼬がいて、それが夫婦で三十年の余もいっしょに棲んでいるんだが、う、その、どっちも年をとりすぎたので、男の鼬のほうは」
あだこ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
坂路を隔てて仏蘭西人アリベーと呼びしものの邸址やしきあと、今は岩崎家の別墅べっしょとなり、短葉松植ゑつらねし土墻ついじは城塞めきたる石塀となりぬ。岩崎家の東鄰には依然として思案外史しあんがいし石橋いしばし氏のきょあり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
朱子に皇学を兼ねた独特の教授ぶりを以て知られ、藩の子弟のほかにかなり遠くからも教を受けに来る者があり、それらはみな、城下の南にあるこの栢村の別墅べっしょの塾で教えていた。
菊屋敷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのまん中どころの、竹垣をまわした別墅べっしょづくりの屋敷の門前で、若者は駕籠をおりた。——それは藤江内蔵允くらのすけの控え家であった。藤江は藩の筆頭家老であり、若者はその長男で小五郎といった。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)