凹地くぼち)” の例文
恁う言ひ乍ら、渠はその目を移して西山のいただきを見、また、凹地くぼちの底の村を瞰下した。古昔いにしへの尊き使徒が異教人の国を望んだ時の心地だ。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
富士の美しくかすんだ下に大きい櫟林くぬぎばやしが黒く並んで、千駄谷せんだがや凹地くぼちに新築の家屋の参差しんしとして連なっているのが走馬燈のように早く行き過ぎる。
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
高山こうざんにはよくさういふ凹地くぼちみづたゝへて、ときには沼地ぬまちかたちづくり、附近ふきんいはあひだゆきをためてゐたりするところがあります。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
もう、凹地くぼちの家には水が出たらしく、あわただしく叫びかわす人声と、提灯の灯とが、物ものしく、闇黒やみに交錯していた。
あの顔 (新字新仮名) / 林不忘(著)
摺鉢形の凹地くぼちの底に淀んだ池も私にはかなりグルーミーなものに見えた。池の中島にほうけ立った草もそうであった。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
無數の異つた種類の苔が、その凹地くぼちを埋めて、咲き亂れた野生やせい櫻草さくらさうの中から、不思議な地面の光を放つてゐた。
ただ川を下って来る筏師いかだしの話では、谷の奥の八幡平はちまんだいらと云う凹地くぼちに炭焼きの部落が五六軒あって、それからまた五十丁行ったどんづまりのかくだいらと云う所に
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その辺り一帯は、今も残る通りの凹地くぼちであって、底には池があった。周囲の崖には昼も暗い程大木が矗々ちくちくと茂っていた。夏は赤く水の濁った池で子供が泳いだ。
四谷、赤坂 (新字新仮名) / 宮島資夫(著)
小石川富坂こいしかわとみざかの片側は砲兵工廠ほうへいこうしょう火避地ひよけちで、樹木の茂った間の凹地くぼちにはみぞが小川のように美しく流れていた。
そして、とうとう、私が革舟をかついで、夕食を食べたその凹地くぼちからつまずきながら手探りして出た時には、その碇泊所全体で目に見える箇所はたった二つしかなかった。
その山の高い事といったら想像も及ばないほどで、その下は一面に広い凹地くぼちになっている。
月世界跋渉記 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
そして、誰も見ていないのが判ると、そのまま四つ這で、周章てて、凹地くぼちの所まで走った。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
あわれ日影の凹地くぼち
野ざらし (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それは、廣々とした丘の凹地くぼちをとりまいてゐる氣高い連山の、こまやかな青緑と陰影の多い見晴しや、黒い岩や泡立つ渦にみちた輝かしい溪流を見ることであつた。
岩のすぐ下手に、緑の芝地のごく小さな凹地くぼちがあって、それが、土手と、その辺にすこぶるたくさん生えている膝くらいまでの高さのこんもりした下生したばえとで隠されていた。
戸外は秋の灰色に曇った日、山の温泉場はややひまで、この小屋の前から見ると、低くなった凹地くぼちに二階三階の家屋が連って、大湯おおゆから絶えず立ちあがる湯の煙は静かに白くなびいていた。
ネギ一束 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
人里と云うものは挟間はざまがあればどこまでも伸びて行くものと見えて、その三方を峰のあらしで囲まれた、ふくろの奥のような凹地くぼちの、せせこましい川べりの斜面しゃめんに段を築き、草屋根を構え
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
間が浅い凹地くぼちになつて、浮世の廃道と謂つた様な、塵白く、石多い、通行とほり少い往還が、其底を一直線ましぐらに貫いてゐる。ふたつ丘陵おかは中腹から耕されて、なだらかな勾配を作つた畑が家々の裏口まで迫つた。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
あわれ日影の凹地くぼち
野ざらし (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)