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下知
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げぢ
ふりがな文庫
“
下知
(
げぢ
)” の例文
のぶなが公おんみずから京極つぶら尾というところへおのぼりになってそうぐんぜいに
下知
(
げぢ
)
をなされ、ひらぜめにせめおとせとおっしゃいましたので、えい、えい、おう、と
盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
是れ女子第一の
勤
(
つとめ
)
也。夫の教訓有らば其
仰
(
おおせ
)
を
叛
(
そむく
)
べからず。
疑敷
(
うたがわしき
)
ことは夫に問ふて其
下知
(
げぢ
)
に随ふべし。夫
問事
(
とうこと
)
あらば正しく答べし。其返答
疏
(
おろそか
)
なるは無礼也。夫若し
腹立
(
はらだち
)
怒
(
いかる
)
時
(
とき
)
は恐れて
順
(
したがう
)
べし。
女大学評論
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
それは
頭
(
かしら
)
御自身が御出馬になることなら、拙者もどちらへでも出張しませう。我々ばかりがこんな所へ参つて働いては、町奉行の
下知
(
げぢ
)
を
受
(
うけ
)
るやうなわけで、体面にも
係
(
かゝは
)
るではありませんか。
大塩平八郎
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
「すでに、駿河勢は、総くずれとなり、義元殿のお
首級
(
しるし
)
も、味方の手にあがりたれば、この上の長追いは無用とのお
下知
(
げぢ
)
。——全軍ひとまず間米山の御陣地の
下
(
もと
)
へあつまれとの御命令である」
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一軍の主将として
下知
(
げぢ
)
の通りに物事の
捗
(
はこ
)
ぶのを期するのは至当の訳で、
然
(
さ
)
無
(
な
)
くても軍隊の中に於ては下々の心任せなどが有ってはならぬものであるが、それでも自らに寛厳の異があり程度がある。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
聞れ
偖々
(
さて/\
)
女
(
をんな
)
には
落付
(
おちつき
)
たる
答
(
こたへ
)
なり
市中廻
(
しちうまはり
)
の者に
下知
(
げぢ
)
なし
疵
(
きず
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
と
下知
(
げぢ
)
をした。
銀の匙
(新字旧仮名)
/
中勘助
(著)
おひの坂にて兵士多く有て、見廻の上下一人もとをすべからざる旨、前田徳善院増田右衛門尉石田治部少輔
下知
(
げぢ
)
なりとて
追帰
(
おひかへ
)
しけり、されば亀山にてわか君たちおはします所
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
以て達せられければ宮崎内記殿
委細
(
ゐさい
)
承知致したりと有て
即刻
(
そくこく
)
此段嘉川主税之助并に
親類
(
しんるゐ
)
へ達せられし處翌九日親類山内三右衞門是は百俵五人
扶持
(
ふち
)
の
輕
(
かる
)
き御家人にて先平助の伯父なり同人并に
小普請
(
こふしん
)
組頭
(
くみがしら
)
等
附添
(
つきそひ
)
警固
(
けいご
)
なし駕籠へ乘せて罷出評定所
腰掛
(
こしかけ
)
に
相控
(
あひひか
)
へ御
下知
(
げぢ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
賣
(
うり
)
たることが
有
(
ある
)
か
其
(
その
)
脇差は爾ぢの
品
(
しな
)
か又は
何國
(
どこ
)
から
持
(
もつ
)
て來たか
明白
(
めいはく
)
に申立よと云れ彌十は
少
(
すこ
)
し
口籠
(
くちごも
)
りしがイヱ此脇差は私しの家に
持傳
(
もちつた
)
へし
重代
(
ぢうだい
)
の品なりと云に役人コレ彌十
爾
(
なん
)
ぢが重代の品などは不屆き
至極
(
しごく
)
なり夫
縛
(
しば
)
れと
下知
(
げぢ
)
しければ
手先
(
てさき
)
の者
立懸
(
たちかゝ
)
り
忽然
(
たちまち
)
高手
(
たかて
)
小手
(
こて
)
に
縛
(
しば
)
り上るに彌十は
恐
(
おそ
)
れし
體
(
てい
)
にて何を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
“下知”の意味
《名詞》
指図すること。
鎌倉時代から室町時代にかけての裁判の判決。
(出典:Wiktionary)
下
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
知
常用漢字
小2
部首:⽮
8画
“下”で始まる語句
下
下手
下駄
下手人
下谷
下婢
下総
下司
下野
下僕