“隋(ずゐ)” の例文
道(みち)はなか/\きのふのやうには捗(はかど)らない。途中(とちゆう)で午飯(ひるめし)を食(く)つて、日(ひ)が西(にし)に傾(かたむ)き掛(か)かつた頃(ころ)、國清寺(こくせいじ)の三門(もん)に著(つ)いた。智者大師(ちしやだいし)の滅後(めつご)に、隋(ずゐ)の煬帝(やうだい)が立(た)てたと云(い)ふ寺(てら)である。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
隋(ずゐ)の文帝(ぶんてい)の宮中(きうちう)には、桃花(たうくわ)の粧(よそほひ)あり。其(そ)の趣(おもむき)相似(あひに)たるもの也(なり)。皆(みな)色(いろ)を衒(てら)ひ寵(ちよう)を售(う)りて、君(きみ)が意(こゝろ)を傾(かたむ)けんとする所以(ゆゑん)、敢(あへ)て歎美(たんび)すべきにあらずと雖(いへど)も、然(しか)れども其(そ)の志(こゝろざし)や可憐也(かれんなり)。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
又男子(なんし)にも、六八隋(ずゐ)の煬帝(やうだい)の臣家(しんか)に六九麻叔謀(ましゆくぼう)といふもの、小児(せうに)の肉を嗜好(この)みて、潜(ひそか)に民の小児を偸(ぬす)み、これを蒸(む)して喫(くら)ひしも七〇あなれど、是は浅ましき七一夷(えびす)心にて、主(あるじ)のかたり給ふとは異(こと)なり。
隋(ずゐ)の沈光(ちんくわう)字(あざな)は總持(そうぢ)、煬帝(やうだい)に事(つか)へて天下第一(てんかだいいち)驍捷(はやわざ)の達人(たつじん)たり。帝(てい)はじめ禪定寺(ぜんぢやうじ)を建立(こんりふ)する時(とき)、幡(はた)を立(た)つるに竿(さを)の高(たか)さ十餘丈(じふよぢやう)。然(しか)るに大風(たいふう)忽(たちま)ち起(おこ)りて幡(はた)の曳綱(ひきづな)頂(いたゞき)より斷(き)れて落(お)ちぬ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)