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隋
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ずゐ
道はなか/\きのふのやうには
捗らない。
途中で
午飯を
食つて、
日が
西に
傾き
掛かつた
頃、
國清寺の三
門に
著いた。
智者大師の
滅後に、
隋の
煬帝が
立てたと
云ふ
寺である。
隋の
文帝の
宮中には、
桃花の
粧あり。
其の
趣相似たるもの
也。
皆色を
衒ひ
寵を
售りて、
君が
意を
傾けんとする
所以、
敢て
歎美すべきにあらずと
雖も、
然れども
其の
志や
可憐也。
又
男子にも、
六八隋の
煬帝の
臣家に
六九麻叔謀といふもの、
小児の肉を
嗜好みて、
潜に民の小児を
偸み、これを
蒸して
喫ひしも
七〇あなれど、是は浅ましき
七一夷心にて、
主のかたり給ふとは
異なり。
隋の
沈光字は
總持、
煬帝に
事へて
天下第一驍捷の
達人たり。
帝はじめ
禪定寺を
建立する
時、
幡を
立つるに
竿の
高さ
十餘丈。
然るに
大風忽ち
起りて
幡の
曳綱頂より
斷れて
落ちぬ。