)” の例文
結納ゆいのうかはされし日も宮は富山唯継をつまと定めたる心はつゆ起らざりき。されど、己はつひにその家にくべき身たるを忘れざりしなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
五百は潔くこの家を去って渋江氏にき、しかもその渋江氏の力をりて、この家の上に監督を加えようとするのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
老子らうし苦縣こけん厲郷らいきやう曲仁里きよくじんりひとなりせい李氏りしあざな伯陽はくやうおくりなたんふ。しう(一)守藏室しゆざうしつなり孔子こうししうき、まされい老子らうしはんとす。
年二十二、京ニキ丹丘梅竜両先生ノ門ニ遊ブ。常ニ先生ニ代ツテ経ヲ講ジ業ヲ授ク。諄諄じゅんじゅんトシテマズ。弟子あいイツテ曰ク明鏡ハ照シテ疲レズ清流ハ風ニみだレズトハ鷲子しゅうしいいカト。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
朝早やもたぎる風呂釜の湯をぶとひたかぶる時し我きにけり
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
八衢にきかよはせる
独楽 (新字旧仮名) / 高祖保(著)
雅さんのところへくときまつて、その為に御嫁入道具までちやん調こしらへて置きながら、今更外へゆかれますか、雅さんも考へて見て下さいな。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
伊三郎の女をともと云った。儔は芥川氏にいた。龍之介さんは儔の生んだ子である。龍之介さんのあらわした小説集「羅生門」中に「孤独地獄」の一篇がある。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
儒員某ソノ能ヲねたム者アリ。悪言日ニ日ニ至ル。時ニ丹丘老師病メリ。先生すなわちコレヲ省スルニ託シ避ケテ京ニク。実ニ天明てんめい丙午へいご(?)夏四月ナリ。老師卒ス。貧ニシテ棺槨かんかくノ資ナシ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
嘗てぢよ国を以てこれに配せむとしたが、事に阻げられて果さず、国は遂に去つて狩谷矩之にいたのだと云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「私は、御母さん、貫一さんに顔が合されないわね。だからくのなら、もうはずにずつと行つてしまひたいのだから、さう云ふ都合にして下さいな。私はもう逢はずに行くわ」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
元泰直為の弟元徳に孫芸庵うんあんがあつた。是を木挽町の柴田とする。芸庵の妹が清川玄道にいた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
果してそうなら、抽斎の生れた時は三十一歳で、迷庵よりはとおわかかったのだろう。抽斎の棭斎に師事したのは二十余歳の時だというから、恐らくは迷庵をうしなって棭斎にいたのであろう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
柳は坂本氏にき、作は山本氏に適き、久は長野氏に適いた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)