軒前のきさき)” の例文
昨夜、乗って来たと同じ馬車が馬をはずして、薄暗い軒の深い家の軒前のきさきに置いてある。寒い国の習いで、家の軒が深く、陰気なしんとした町だ。
香油 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
当方武士数十人、鎧兜よろいかぶと、抜き身のやり陣羽織じんばおりを着し、騎馬数百人も出、市中は残らず軒前のきさき燈火あかりをともし、まことにまことに大騒動にこれあり候。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だぶだぶと湯の動く音。軒前のきさきには、駄菓子みせ、甘酒の店、あめの湯、水菓子の夜店が並んで、客も集れば、湯女ゆなも掛ける。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
實際じつさい前記ぜんき大地震だいぢしんおいては機敏きびん動作どうさをなしてかへつて軒前のきさき壓死あつししたものがおほく、おくれながら小屋組こやぐみした安全あんぜんかれたものは屋根やねやぶつてたすかつたといふ。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
が、咫尺しせきも弁ぜざる冥濛めいもうの雪には彼も少しく辟易へきえきして、にぐるとも無しに空屋あきや軒前のきさきへ転げ込んだ。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
名代なだいの気丈なものだったそうですが、ある夜、もうかれこれけて、夏の夜でしたが、涼み台もしまおうという時分に、その後家のうち軒前のきさき人魂ひとだまがたしかに見えたと
人魂火 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
と調子に乗って声高こわだかに談判するを、先刻せんこくより軒前のきさき空合そらあいを眺めて居りました二人の夜店商人あきんどが、互いに顔を見合わせ、うなずきあい、懐中から捕縄とりなわを取出すや否や、格子戸をがらりっと明けて
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
側対かわむかいの淡路屋の軒前のきさきに、客待きゃくまちうけの円髷に突掛つッかかって、六でなしの六蔵が、(おい、泊るぜえ)を遣らかす処。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひょろひょろの小僧は、叩きつけられたように、向う側の絵草紙屋の軒前のきさきへ駆込んだんです。濡れるのをいといはしません。吹倒されるのが可恐おそろしかったので、柱へつかまった。
木の子説法 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
軒前のきさきに、不精たらしい釣荵つりしのぶがまだかかって、露も玉も干乾ひからびて、蛙の干物のようなのが、化けて歌でも詠みはしないか、赤い短冊がついていて、しばしば雨風をくらったと見え、摺切すりきれ加減に
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)