しる)” の例文
そのころ、わたくしはわが日誌にむかしあって後に埋められた市中溝川の所在を心覚こころおぼえしるして置いたことがある。すなわち次の如くである。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すでに一じんの薪となるべきを、幸にしる者にあひひて死灰しくわいをのがれ、韻客ゐんかくため題詠だいえい美言びげんをうけたるのみならず、つひには 椎谷侯しひやこうあいほうじて身を宝庫ほうこに安んじ
さて、そのギムナジウムの光景を簡単にしるしませう。——ギムナジウムと称ぶのは適当か何うか知りませんが、敬意を払つて私は勝手にその教場を斯く称びませう。
舞踏学校見物 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
四九 仙人峠は登り十五里くだり十五里あり。その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり。この堂のかべには旅人がこの山中にて遭いたる不思議の出来事を書きしるすこと昔よりのならいなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
香夢楼に坐して梅廼家かほるしる
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
また『慶応十家絶句』には植村蘆洲の作に大沼枕山、長谷川昆渓、関雪江、沢井鶴汀さわいかくてい、釈智仙らの相会したことがしるされている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すでに一じんの薪となるべきを、幸にしる者にあひひて死灰しくわいをのがれ、韻客ゐんかくため題詠だいえい美言びげんをうけたるのみならず、つひには 椎谷侯しひやこうあいほうじて身を宝庫ほうこに安んじ
この堂の壁には旅人がこの山中にて遭ひたる不思議の出来事を書きしるすこと昔よりの習ひなり。たとへば、われは越後の者なるが、何月何日の夜、この山路にて若き女の髪の垂れたるに逢へり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
よってその勧められるがままに旧版を校訂しあわせて執筆当初の事情と旧版の種類とをここにしるすことにした。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
おかるになりしは岩井玉之丞とて田舎芝居の戯子やくしやなるよし、すこぶなり。由良の助になりしは旅中りよちゆう文雅ぶんがもつてしるひとなり、年若としわかなればかゝるたはふれをもなすなるべし。常にはかはりて今の坂東彦三郎にたり。
わたくしの忍んで通う溝際どぶぎわの家が寺島町七丁目六十何番地に在ることは既にしるした。この番地のあたりはこの盛場では西北のすみに寄ったところで、目貫めぬきの場所ではない。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
おかるになりしは岩井玉之丞とて田舎芝居の戯子やくしやなるよし、すこぶなり。由良の助になりしは旅中りよちゆう文雅ぶんがもつてしるひとなり、年若としわかなればかゝるたはふれをもなすなるべし。常にはかはりて今の坂東彦三郎にたり。
わたくしは母氏より聞いた所をここにしるして置く。川田良兵衛は奥平家の勝手がたを勤めた人で五男二女があった。嗣子伊三郎は篤学の士で藩中の者から尊敬せられていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
因テコレヲ以テ序トナス。嘉永己酉孟春もうしゅん。試灯ノ節。枕山居士こじ大沼厚。下谷ノ凞凞きき堂ニしるス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたくしは戦後人心の赴くところを観るにつけ、たまたま田舎の路傍に残された断碑を見て、その行末を思い、ここにこれをしるした。時維ときにこれ昭和廿二年歳次丁亥ていがい臘月ろうげつの某日である。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのままここしるして置くのである。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)