しか)” の例文
何卒どうぞ、先生、主義の為めに御奮闘を願ひます」慇懃いんぎんに腰をかがめたる少年村井は、小脇の革嚢かばんしかと抱へて、又た新雪あらゆき踏んで駆け行けり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
貴婦人は差し向けたる手をしかと据ゑて、目をぬぐふ間もせはしく、なほ心を留めて望みけるに、枝葉えだはさへぎりてとかくに思ふままならず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
庄吉はその時まで片手にしかと下駄を握っていた。家を出る時、自分でも知らないで下駄を持って来たものと見える。
少年の死 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
わがすくひにゆかむとするを待たで、かたえなる高草の裏にあと叫ぶ声すと聞くに、羊飼のわらべ飛ぶごとくに馳寄はせより、姫が馬のくつわぎはしかと握りておししずめぬ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
市郎はその綱の片端を自分の胴にしかと結び付けて、海燕うみつばめの巣をあさる支那人のように、岩を伝って真直まっすぐに降り初めた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、しかと抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我はた人事をしらず。
羽織をさばいた胸さがりの角帯に結び添え、こいねがわくは道中師の、上は三尺ともいうべき処を、薄汚れた紺めりんすの風呂敷づつみを、それでもしかと結んだと見えて、手まさぐると……
が、うしても其儘そのままには捨置すておかれぬので、最後には畚にしかくくり付けて、遂に彼女かれを上まで運び出した。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
氷の如く冷徹ひえわたりたる手をわりなくふところに差入れらるるに驚き、咄嗟あなやと見向かんとすれば、後よりしかかかへられたれど、夫の常にたしなめる香水のかをりは隠るべくもあらず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
彼女はしかと舟のともを掴んだ。何か心に残るものがあった。でもそのまま力を込めて舟を押した。舟はスーッと渚を離れた。急に重い荷を下したような安堵が彼女の心に感ぜられた。
湖水と彼等 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
突如、あたゝかき手は来つて梅子の右掌めてしかと握れり、彼女かれは総身の熱血、一時に沸騰ふつとうすると覚えて、恐ろしきまでに戦慄せんりつせり、額を上ぐれば、篠田の両眼は日の如く輝きて直ぐ前にかゝれり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
が、右の腕もしかと掴まれたので自由がかぬ。敵は獣のような奇怪な声を絞って、しきりうなった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
貫一は息も絶々ながらしかと鞄を掻抱かきいだき、右の逆手さかてに小刀を隠し持ちて、この上にも狼藉ろうぜきに及ばばんやう有りと、油断を計りてわざと為す無きていよそほひ、直呻ひたうめきにぞ呻きゐたる。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
私は両手でしかと懐剣を握りしめ、息を凝らしてぶるぶると全身の筋肉を震わした。
蠱惑 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
剛一はしかと抱きて声励ましつ「凛乎しつかりなさい——」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)