ただす)” の例文
「帰りは、いつも、ただすはらで日が暮れる。あの辺を、びんぼう車の通るのを待ち伏せして、四方から、野火焼きしてやるのじゃ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こと下賀茂しもかもただすの森であつた時雨しぐれは、丁度ちやうど朝焼がしてゐるとすぐに時雨れて来たんで、甚だ風流な気がしたのを覚えてゐる。
一番気乗のする時 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それでたいていは首をくくった。聖護院の森だとか、ただすの森などには、椎の実を拾う子供が、宙にぶらさがっている死体を見て、驚くことが多かった。
身投げ救助業 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ただすもりがぼーっと霞んで見えなくなる。おや自分は泣いてるなと思って眼瞼まぶたを閉じてみると、しずくの玉がブリキくずに落ちたかしてぽとんという音がした。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
二人はしばらく黙って、九条の河原を北にむかって辿ってゆくと、うす暗い空をいよいよ暗く見せるようなただすの森が、眼のさきに遠く横たわっていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その日の暮れ方に、湯島のただすの方へ大学の病室の都合を訊いてもらいに駈けつけたお庄は、九時ごろに糺と一緒に戻って来た。大学の方は明きがなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
新聞屋になって、ただすもりの奥に、哲学者と、禅居士ぜんこじと、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそりかんと暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一月三十一日 下鴨しもがもただすもり。木屋町大千賀。王城等鹿笛同人招宴。年尾と共に。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
京都の下賀茂神社のただすの森だった。二町もあるまっすぐな森の参道を歩いていると、向うから同じ大学に生徒として通っている中尉がやってきたのである。すると友人が、他の道を通ろうという。
美学入門 (新字新仮名) / 中井正一(著)
葉洩はもりのかげ散斑ばらふなるただすもり下路したみち
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
天の川ただすの涼み過ぎにけり 同
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そして夏には、淀の網打ちにも屡〻しばしば誘われ、四条やただすの夕涼み、或は、宇治の集りと、彼女を飽かせまいとする行楽と行事は果しがなかった。
梅颸の杖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ならばただすの森あたりの、老木おいきの下闇に致したかった。あすこは夏の月夜には、せせらぎの音が間近く聞えて、の花の白くほのめくのも一段と風情ふぜいを添える所じゃ。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
明れば六日、早旦、野村あたりに至ると、既に渡辺内蔵助ただすが水野勝成かつなりと戦端を開いていた。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二階では、取っ着きの明るい部屋で、ただす褞袍どてらを着込んで、机に向って本を見ていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
葉洩りの日かげ散斑ばらふなるただすもりの下路に
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
「忘れてなろうか。ただすはらで、あやういところを、救うてくれた庄司七郎……。あの時、そなたは、なぜ逃げたのか」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奥から二男のただすも、繁三も起き出して来た。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ただすはらで、他人ひとを、野火におとし入れようとした悪戯わるさが、かえって、自分を焼く火となって手痛い目に会ったので、その遺恨が、今もって、消えないのか。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや、もう五こうの頃であった。例のごとく、まっ裸になって、清流に身をなぶらせていると、対岸のただすノ森のしもあたりから、一群の人影が川原の方へ降りて来た。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ピチ、ピチ、と小魚のはねる流れのとろに、ただすの森をこしてくる初秋の風がさざ波を立てている……。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六月七日の合戦には、早くも、千種ちぐさ忠顕と坊門ノ少将雅忠まさただらが、きらら坂や、ただすノ辻で、討死した。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵は、二度足を止めたが、もう心にかけず、ただすの中のを越えて対岸へ跳び移ってしまった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぜひなく、官軍は川の東へ、総ひきあげを呼び交わし、加茂の上流、ただすのへんへかたまった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)