焦慮しょうりょ)” の例文
断えず込み上げて来る好色心が、それからそれへとうずを巻いて、まだ高々と照り渡っている日の色に、焦慮しょうりょをさえ感じ始めたのであった。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
これが真佐子の父親に知れ、よしんば学費が途絶えるにしても真佐子を試すことは今は金魚の研究より復一には焦慮しょうりょすべき問題であった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
もっとも世俗的な浅薄せんぱくな考えにのみ焦慮しょうりょ致し、一歩立ちいって根本的に考えるという事ほとんど無之これなく、はずかしき次第に候う。
廃める (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
が、今は王氏の焦慮しょうりょも待たず、自然とこの図が我々の前へ、蜃楼しんろうのように現れたのです。これこそ実際天縁が、熟したと言うほかはありません。
秋山図 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この場の将軍の様子を、遠くからうかがっていたのは、高級副官の湯河原中佐だった。彼は何事かについて、しきりに焦慮しょうりょしているようでもあった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そうして宙を運ばれながら、生きた心地もない焦慮しょうりょの中で、川手氏は不思議にはっきりと、ある異様な事柄を気附いていた。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彷徨さまよいあるき、なにかの幸福を手掴てづかみにしたい焦慮しょうりょに、身悶みもだえしながら、遂々とうとう帰国の日まで過してしまいました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
まさに、あれやこれの、最中さなかなのである。ご焦慮しょうりょもいちばいだった。ついに、右大弁うだいべん宰相さいしょう清忠を召されて
彼の頭の中には疑心と憂鬱と焦慮しょうりょと情熱が、まるでコクテイル・シ※ークのようにき廻された。彼は何をしでかすか解らない自分に、監視の眼を見張りだした。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
中将のほうでは少しも焦慮しょうりょするふうを見せず落ち着いているのであったからしかたがないのである。
源氏物語:26 常夏 (新字新仮名) / 紫式部(著)
夫人が生れつき持つてゐた平安な無関心さはしかし、至の焦慮しょうりょを消極的に鞭うつのであつた。
垂水 (新字旧仮名) / 神西清(著)
左膳の焦慮しょうりょは眼に見えてきた。むすめ一人に婿八人、各方面から、この壺をねらう者の多いなかに、片腕の孤剣を持って、よくここまでまもり通してきたものを、今むざむざ……。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
日夜焦慮しょうりょしていた殺人鬼その人であったことは、なんら疑念の余地がないのである。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
燕王兵を挙ぐるに及び、日に召されて謀議に参し、詔檄しょうげき皆孝孺の手にづ。三年より四年に至り、孝孺はなは煎心せんしん焦慮しょうりょすと雖も、身武臣にあらず、皇師数々しばしば屈して、燕兵ついに城下にいたる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼等の体的欲望は、ごうも消えた訳ではないが、ただその欲望を満足せしむべき機関がない。そこが彼等の大いに煩悶はんもん焦慮しょうりょする点である。およそ世に充たされざる渇望ほどつらいものはない。
わからなければ分らないだけに、何ともえたいの知れぬ気味悪さが、黒雲のように心中に湧き起って来て、不安と焦慮しょうりょに、居ても立ってもいられぬ心持であった。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
まことに念入りな鄭重ていちょう慇懃いんぎんきわめた脅迫状であった。しかしいくら鄭重慇懃でも、脅迫状は嬉しくない。受取人の苅谷勘一郎は焦慮しょうりょ熟考じゅっこうの末、一つの成案を得た。
しかし正成は、さして焦慮しょうりょを抱いたふうでもない。——参内の二十一日の朝は、早くに物具もののぐを着け、さて、門を出るさいに、初めておいの楠木弥四郎にたずねていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私はこのあひだの、男の子を抱へて貧しい寡婦になつた母の心労や焦慮しょうりょを、いま君に告げる材料を持たないことを残念に思ふ。私は反省癖のつよい子供として、当然内に籠る子供になつたからである。
母たち (新字旧仮名) / 神西清(著)
彼は燃えるような敵意をこめて言い放ったが、次の瞬間には、又しても不安と焦慮しょうりょにくずおれていた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
となす印象を、時人じじんに深くしたことの方が、六波羅には、さしあたっての焦慮しょうりょだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、すで度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と、やがてはまた、一抹の不安と、時たつほど、重たい焦慮しょうりょになっていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の十数日にわたる惨憺さんたんたる焦慮しょうりょなどには少しも気づかないで、あの快活な笑い声を立てながら、暖かい家庭で無邪気に談笑しているS子の姿がまざまざと浮んで来るのでした。
算盤が恋を語る話 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そして次の瞬間には、彼の眼に恐ろしい焦慮しょうりょの色が浮かんだ。こうしてはいられない。文代さんが危ないのだ。しかし、この厳重な監禁をどうして脱出することができるだろう?
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
明智は名状できない焦慮しょうりょの色を浮かべて、不安に耐えぬもののようである。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)