後室こうしつ)” の例文
女教師鴎外、芸妓紅葉、女生徒さざなみ、女壮士正太夫しょうだゆう権妻ごんさい美妙、女役者水蔭すいいん比丘尼びくに露伴、後室こうしつ逍遥、踊の師匠眉山、町家の女房柳浪。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
中がらすの障子のうちには今様いまやう按察あぜち後室こうしつ珠数じゆずをつまぐつて、かぶりの若紫わかむらさき立出たちいづるやと思はるる、その一トかまへが大黒屋の寮なり。
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「それはそうと、お後室こうしつ様、あの丹下左膳とやらは、萩乃様をおつれして、いったいどこへまいったのでござりましょうな」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それは一番目の「文覚」と中幕の「鳥目の上使」との幕間まくあいで、団十郎は中幕に後室こうしつ千寿の役を勤めているので、その顔を作りながら父と話し出した。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その時後悔のしるしに髮を切つて後室こうしつ樣のやうな頭になりましたが、二年經つと大分伸びて、今ではどうやら手拭を冠つて人前にも顏を出すやうになりました。
マーチノー殿どの、同じく夫人おくがたおよ令孃方むずめごがた。アンセルムはくおなじくうつきしき令妹達いもとごがた。ヸトルーヸオー殿どの後室こうしつ
一つには小谷どのゝ後室こうしつとしておだ家の臣下へおくだりなされますことゆえ、そのへんのおかんがえもござりまして、さしあたりとこうの御ふんべつもつかずにいらっしゃいましたところ
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「山本宇平殿、おなじく九郎右衛門殿、桜井須磨右衛門、平安」と読んだ時、木賃宿でも主従の礼儀を守る文吉ではあるが、兼て聞き知っていた後室こうしつの里からの手紙は、なんの用事かと気がいて
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わらわは、袁紹えんしょう後室こうしつりゅう夫人です。むすめは、次男の袁煕えんきの妻……」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六浦家の後室こうしつ始め、一門の心配は一通ひととおりではなくなった。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
なかがらすの障子しようじのうちには今樣いまやう按察あぜち後室こうしつ珠數じゆずをつまぐつて、かぶりの若紫わかむらさき立出たちいづるやとおもはるゝ、その一ツかまへが大黒屋だいこくやりようなり。
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
京都五条の橋の西の御影堂が本家で、敦盛あつもり後室こうしつが落飾して尼になり、阿古屋扇あこやおうぎを折って売り出したのが、いまに伝わっているといわれていた。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
お倉は老ても身だしなみのよい女であって、老年になっても顔は艶々としていた。切髪のなでつけ被布姿ひふすがたで、着物のすそを長くひいてどこの後室こうしつかという容体であった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
同時に、本花道からしずかにあゆみ出た切り髪の女は太宰だざい後室こうしつ定高さだかで、眼の大きい、顔の輪郭のはっきりして、一種の気品をそなえた男まさりの女、それは市川団十郎だんじゅうろうである。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
たとい夫の左大臣は亡くなられても、矢張母は自分などの手の届かない雲の上の人、高貴の家の後室こうしつとして多くの人にかしずかれつゝ、立派な居館の玉簾たまだれの奥に朝夕を過しているものと想像された。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
澁川の後室こうしつ 眞弓まゆみ
番町皿屋敷 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)