嫌厭けんえん)” の例文
そして、その頬に刻まれた数条の深いしわに、おれは悲哀と、倦怠と、人類に対する嫌厭けんえんと、孤独の熱望とを示すものを読みとった。
いつのまにか義経の胸は、兄に対する嫌厭けんえんでいっぱいになっていた。黄瀬川の宿で初めて会った時とは正反対な兄を見るここちがした。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分こそ世界の理性だと自惚うぬぼれながら実はその悪い夢にすぎない選良者、野心家、虚栄者、などにたいして、ある嫌厭けんえんの情を覚えたのだった。
私をしてあなたに代わらしめたならば疑いの目、冷たい目、嫌厭けんえんの目を顔に浴びねばならない。あなたの考えてるようなことは何の苦もなく発表できる。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
親子のあいだにさえ好悪や嫌厭けんえんがある、まして個性を持った他人どうしに、嫉視しっしや敵対意識や、競争心や排他的な行動のあるのが当然じゃあないだろうか。
おごそかな渇き (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
すでにこの河面に嫌厭けんえんたるものをきざしているその上に、私はとかく後に心をひかれた。何という不思議なこの家の娘であろう。この娘にも一光閃も、一陰翳もない。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
嫌厭けんえん先生という年わかい世のすねものが面白おかしく世の中を渡ったことの次第を叙したものであって
ロマネスク (新字新仮名) / 太宰治(著)
枕山がこの「飲酒」一篇に言うところはあたかもわたくしが今日の青年文士に対して抱いている嫌厭けんえんの情とことなる所がない。枕山は酔郷の中に遠く古人を求めた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
お雪は愛嬌にいって、浅吉と連れ立って自分の部屋へやって来ましたが、そこへ近づくと、浅吉の恐怖と嫌厭けんえんの色が一層深くなって、ゾッと身ぶるいをしました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
とある空地あきちえた青桐あおぎりみたいな、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の方則が反覆している、人間生活への味気ない嫌厭けんえんを感じさせるばかりになった。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
失望といわんか嫌厭けんえんと名づけんか自らわかつあたわざるある一念の心底にでたるを覚えつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
しかしそれでも彼は幸福だった。なぜなら幸福とは——と彼は胸の中で言った——愛せられることではない。愛せられるというのは、嫌厭けんえんの念と入りまざった、虚栄心の満足である。
ふとくすぐられるようなゆるびを覚えて、双方で噴飯ふきだしてしまうようなことはこれまでにめずらしくなかったが、このごろの笹村の嫌厭けんえんの情は妻のそうした愛嬌チャームを打ち消すに十分であった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
出したとき男は羞恥も顧慮も無い、平明な、むしろ嫌厭けんえんするような顔をして
香爐を盗む (新字新仮名) / 室生犀星(著)
そして生活ぶりは極度に吝嗇りんしょくを極めて人との交際を嫌厭けんえんしておりますから、近隣のものでこの男と往来ゆききしているのはほとんどありませんし、また当人がこれだけの財を持っているということを
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
然様そういう軽視もしくは蔑視べっしを与える如き男が、今は嫌厭けんえんから進んで憎悪又は虐待をさえ与えて居る其妻に対しては、なまじ横合からその妻に同情して其夫を非難するような気味の言を聞かされては
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
半ばの不憫ふびんさと、半ばの嫌厭けんえんと、複雑な感情でルーダオは妹の姿を眺め、暗澹あんたんとしたため息をもらすのである。そして、そのあとでは、ふっと、内地人に対して耐えられない憤りの念が湧いてくる。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
が、ウェッシントン夫人はまさに百人目の女であった。いかに私が嫌厭けんえんを明言しても、または二度と顔を合わせないように、いかに手ひどい残忍な目に逢わせても、彼女にはなんらの効果がなかった。
「ナニそれでは貴殿においても、徳川幕府に嫌厭けんえんござるので?」
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
嫌厭けんえんも憎しみもわかず、いよいよ不びんを増すばかりなのが、彼を、だらしのない、一個の懊悩おうのうの男にしていた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
クリストフは微笑ほほえましい心持で、ジョルジュのうちに見出した、ある種の本能的な反感を、自分がよく知ってるあの嗜好しこう嫌厭けんえんとを、そしてまた、無邪気な一徹さを
その上子供の木下に向って、掻餅を与えながら、一種の手柄顔と、びと歓心を求める造り笑いは、木下に嫌厭けんえんを催させた。堺屋のおふくろははしを投げ捨て、怒って立って行った。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
恐るるとにはあらで一種やみ難き嫌厭けんえん憎悪ぞうおの胸中にみなぎりづるを覚えしなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
あの嫌厭けんえんばかりである。
道化者 (新字新仮名) / パウル・トーマス・マン(著)
余りな自己嫌厭けんえん慚愧ざんきのあとでは、人間はふと、他の人間の中に“真”を求めたり美徳のまねごとでもして自己の救いに置き代えてみたくなるものらしい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城太郎は、ふと、いきどおりに似たものを胸に抱いた。武蔵のからだにかけてある女の裲襠うちかけが気に喰わないのである。また、武蔵の着ている派手な着物に嫌厭けんえんがわくのであった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分という人間にすら嫌厭けんえんがわいて、泣いたぐらいでは、心の慟哭どうこくがおさまらなかった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とげのつらさの余り嫌厭けんえんになった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)