咳嗽せき)” の例文
兼太郎は返事に困って出もせぬ咳嗽せきにまぎらした。いつか酒屋の四つ角をまがって電車どおりへ出ようとする真直まっすぐな広い往来を歩いている。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
うめきとも笑いとも咳嗽せきともわからぬ声を発したかと思うと、彼は突然その唇を紫色に変え、がくりとして看護婦の腕にもたれかかった。
肉腫 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
彼はよく風邪かぜを引いて咳嗽せきをした。ある時は熱も出た。するとその熱が必ず肺病の前兆でなければならないように彼を脅かした。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
……と思う間もなく私の方に身体を反背そむけつつ、全身をゆすり上げて、姿に似合わない小さな、弱々しい咳嗽せきを続けた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
あの時は咳嗽せきや痰があつたが今はない。あの時はあんなに熱が高かつたが、胸のむかつきは今ほどではなかつた。
続生活の探求 (旧字旧仮名) / 島木健作(著)
それに咳嗽せきが出る。ちょうどそこに行田に戻り車がうろうろしていたので、やすく賃銭ちんせんをねぎって乗った。寒いみちを日のれにようやく家に着いた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「どう致しまして、」と奥でしわがれた声がして、つゞい咳嗽せきがして、火鉢の縁をたたく煙管きせるの音が重く響いた。
二少女 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽せきをしてゐましたが、やっと心を取り直して、又講義をつゞけました。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
咳嗽せき噴嚔くしゃみをする時は布片きれ又は紙などにて鼻口を覆うこと——とある。
女婿 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そのとき裏の小部屋の中で咳嗽せきの声がした。
(新字新仮名) / 魯迅(著)
今、中學の寄宿舍に咳嗽せきおとしげ
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
新聞買はずとも世間の噂は金棒引かなぼうひきの女房によつて仔細に伝へられ、喘息持ぜんそくもちの隠居が咳嗽せきは頼まざるに夜通し泥棒の用心となる。
路地 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ところで、もし生きていたときに、換言すれば意識のあったときに破裂したならば血液は咳嗽せきによって排出されます。
梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽せきをしていましたが、やっと心を取り直して、又講義をつづけました。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
それにどうしてか、このごろはよく風邪かぜをひいた。散歩したとては、咳嗽せきが出たり、湯にはいったとては熱が出たりした。煙草を飲むと、どうも頭の工合ぐあいが悪い。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
と云いさした若林博士は、又も、咳嗽せきが出そうな身構えをしたが、今度は無事に落付いたらしい。ハンカチの蔭で眼をしばたたきながら、息苦しそうに言葉を続けた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
向うのはずれにいた潰瘍患者かいようかんじゃの高い咳嗽せきごとに薄らいで行くので、大方落ちついたのだろうと思って町井さんに尋ねて見ると、衰弱の結果いつの間にか死んでいた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
新聞買わずとも世間の噂は金棒引かなぼうひきの女房によって仔細に伝えられ、喘息持ぜんそくもちの隠居が咳嗽せきは頼まざるに夜通し泥棒の用心となる。
人工心臓研究の第一段を終ったのは、生理学教室へはいってから約一年半の後でしたが、その半年ほど前から私は時々軽い咳嗽せきをするようになりました。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
それを知らない健三ではなかったが、目前まのあたりこの猛烈な咳嗽せきと消え入るような呼息遣いきづかいとを見ていると、病気にかかった当人よりも自分の方がかえって不安で堪らなくなった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
すると、そのうちに咳嗽せきを収めた若林博士は又一つジロリと青白い目礼をした。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「どうも咳嗽せきの出るのが変だと思ってました」と隣りの足袋屋たびや細君さいくんが言った。「どうも肺病だッてな、あの若いのに気の毒だなア。話好きなおもしろい人だのに……」と大家おおや主人あるじ老妻かみさんに言った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
医者は母に向って食慾の有無とまた咳嗽せきが出るか否かを簡単にきいたばかりで、脈搏みゃくはくも見ず体温も計らず、また患者の胸に聴診器を当てても見なかった。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
けれども内はいつもの通りしんとしていた。なまめいた女の声どころか、咳嗽せき一つ聞えなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夕方時々熱がでたり軽い咳嗽せきをしたり、夜寝てから譫言うはごとを言つたりする。それがとても凄いんださうです。
来訪者 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
彼女は頭を真直まっすぐに上る事さえかなわないで、小さな顔を横にしたまま健三を見た。挨拶をしようと思う努力が、すぐ咽喉のどに障ったと見えて、今まで多少落ち付いていた咳嗽せきの発作が一度に来た。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
咳嗽せきまじうる主人あるじの声と共にその妻の彼方此方かなたこなたと立働くらしい物音が夜のけ渡るまでもまなかった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「大丈夫にきまってるさ。咳嗽せきは少し出るがインフルエンザなんだもの」
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
石磴せきとうを登らむとする時その麓なる井のほとりに老婆の石像あるを見、これは何かとしもべに問へば咳嗽せきのばばさまとて、せきを病むものがんを掛け病いゆれば甘酒を供ふるなりといへり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「そのうちちょっと逢いたいと思う事があるのだ。実はこの間偶然電車の中でお宅の御兄おあにさんにお目にかかってな……。」と老人は言いかけて咳嗽せきをしながら眼鏡越しに鶴子の顔を見た。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)