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名僧
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めいそう
『あんな
名僧知識と
謳われた
方がまだこんな
薄暗い
境涯に
居るのかしら……。』
時々意外に
感ずるような
場合もあるのでございます。
大抵此には
昔の
名僧の
話が
伴つて
居て、いづれも
讀經の
折、
誦念の
砌に、
其の
喧噪さを
憎んで、
聲を
封じたと
言ふのである。
坊さんは
偉い。
夢は
五臟のわづらひといひ
傳ふれども
正夢にして
賢人聖人或は
名僧知識の人を
産むは
天竺唐土我朝ともにその
例し
少なからず
已に
玄奘法師は夢を
勘太郎は寺の
住職となり、後には
知徳すぐれた
名僧となったということである。
これは学者も
名僧知識も、いまだ容易に断定を下しえない。
すだき
鳴く
蛙の
聲と
知つて、
果敢ない
中にも
可懷さに、
不埒な
凡夫は、
名僧の
功力を
忘れて、
所謂、(
鳴かぬ
蛙)の
傳説を
思ひうかべもしなかつた。
又か、とむかしの
名僧のやうに、お
叱りさへなかつたら、こゝで、
番町の
七不思議とか
稱へて、
其の
一つに
數へたいくらゐである。が、
何も
珍しがる
事はない。
高臺だから
此の
邊には
居ないのらしい。