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やつしろ
ふりがな文庫
“
八代
(
やつしろ
)” の例文
松向寺殿の御居城
八代
(
やつしろ
)
に相詰め候事と相成り、あまつさえ殿御上京の御供にさえ
召具
(
めしぐ
)
せられ、繁務に
逐
(
お
)
われ、
空
(
むな
)
しく月日を相送り候。
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
センバという名称は西は大分県
海部
(
あまべ
)
郡、
肥前
(
ひぜん
)
の
千々岩
(
ちぢわ
)
、また熊本県
八代
(
やつしろ
)
郡などにも見いだされるが、主としては東北の
端々
(
はしばし
)
において行われている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
列島の
彼方
(
かなた
)
に別にエメラルドの色をたたえているのは
八代
(
やつしろ
)
海である。けれども今
目路
(
めじ
)
の限り、紫がかった薄絹の
帷
(
とばり
)
の
様
(
よう
)
に、
朝霞
(
あさかすみ
)
が一面に棚引いているのだ。
雲仙岳
(新字新仮名)
/
菊池幽芳
(著)
知事のことに話を戻すと、私は彼に我々の仕事の目的を話し、彼は私が三十四マイル南の
八代
(
やつしろ
)
へ行こうとしているので、役人を一人つけてくれるといった。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
一方、桐野・篠原・池上隊などは、
玖満
(
くま
)
(球磨)
川
(
がわ
)
を下って
八代
(
やつしろ
)
へ向っています。西郷殿の所在は
確
(
しか
)
とわかりませんが、横川に宿営したのが事実のようであります。
日本名婦伝:谷干城夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
例えば肥前の
唐津
(
からつ
)
や、または
現川
(
うつつがわ
)
や、筑前の
上野
(
あがの
)
や、筑後の
八代
(
やつしろ
)
の如き、昔の勢いは過ぎ去りました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
一向宗までも
呑吐
(
どんと
)
して、諸国への
使
(
つかい
)
は一向坊主にさせているところなど、また信玄一流の大きさで、飯綱の法を
行
(
おこな
)
ったかどうか知らぬが、甲州
八代
(
やつしろ
)
郡
末木
(
すえき
)
村
慈眼寺
(
じげんじ
)
に
魔法修行者
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
最も残酷な迫害を辞さなかつた
八代
(
やつしろ
)
の奉行角左衛門は、処刑を終へて槍を返しに来た役人に、自分は今日からこの槍をもつ資格がないやうな気がすると言つてゐたが、やがて
イノチガケ:――ヨワン・シローテの殉教――
(新字旧仮名)
/
坂口安吾
(著)
『肥後の
八代
(
やつしろ
)
とも言はれる町が、まさかこんなでもあるまい。
此処
(
こゝ
)
は裏町か何かで、
賑
(
にぎや
)
かな
大通
(
おほどほり
)
は別にあるだらう』と
私
(
わたし
)
は思つた。
成程
(
なるほど
)
、少し行くと、
通
(
とほり
)
がいくらか
綺麗
(
きれい
)
になつた。
父の墓
(新字旧仮名)
/
田山花袋
(著)
これは、
河内
(
かわち
)
で出来る『
八代
(
やつしろ
)
』という変り蜜柑で、鍛冶屋や
鋳物師
(
いものし
)
の二階の窓から
往来
(
おうらい
)
へほおる安蜜柑じゃねえ。……ご親類の
松平河内守
(
まつだいらかわちのかみ
)
から八日祭のおつかいものに届いたものに相違ない。
顎十郎捕物帳:07 紙凧
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
この二つの島は、もとは熊本県の
八代
(
やつしろ
)
の沖にあった。ところがこの辺の海は
遠浅
(
とおあさ
)
でだんだんと埋め立てられて行くので、鼠蔵の方は
夙
(
はや
)
くから陸続きになった。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
八代
(
やつしろ
)
の
象嵌
(
ぞうがん
)
の法も彼らから教わりました。象嵌というのは模様を中に
嵌
(
は
)
め込むやり方であります。かくして焼物は新しい産業として目覚ましい発展を
遂
(
と
)
げるに至りました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
その後某は御先代妙解院殿よりも出格の御引立を
蒙
(
こうむ
)
り、寛永九年
御国替
(
おんくにがえ
)
の
砌
(
みぎり
)
には、三斎公の御居城
八代
(
やつしろ
)
に
相詰
(
あいつ
)
め候事と相成り、あまつさえ殿御上京の御供にさえ
召具
(
めしぐ
)
せられ
候
(
そろ
)
。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
八代
(
やつしろ
)
海、大村湾、千々岩灘、天草
洋
(
なだ
)
、有明海
等
(
とう
)
幾多の区分された海洋と、天草諸島をはじめ多数の
島嶼
(
とうしょ
)
と、更に屈曲極まりなき海岸線を持つ陸地との交錯によって、地理的に変幻無比の地形が
雲仙岳
(新字新仮名)
/
菊池幽芳
(著)
八代
(
やつしろ
)
郡の松求麻辺にも小さな中心があって、これも「地神経」を読んであるくほかに、興がる早物語や作り物語の類を、招かれては語ってあるいたので、その文学のほとんど全部が
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
それから熊本を更に三日、宇土を二日、
八代
(
やつしろ
)
を一日、
南工宿
(
なんくじゅく
)
を二日尋ねて、再び舟で肥前国
温泉嶽
(
おんせんだけ
)
の下の港へ渡った。すると長崎から来た人の話に、敵らしい僧の長崎にいることを聞いた。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
「
唐津
(
からつ
)
」とか「
八代
(
やつしろ
)
」とか「
現川
(
うつつがわ
)
」とか「
上野
(
あがの
)
」とかこれらの諸窯は、広い意味で朝鮮系窯である。そうしてそれらの著名な窯以外に、無数の名も知れざる同種の窯が九州西半部各地に散在する。
工芸の道
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
某
(
それがし
)
致仕
(
ちし
)
候てより以来、当国
船岡山
(
ふなおかやま
)
の
西麓
(
さいろく
)
に形ばかりなる
草庵
(
そうあん
)
を営み
罷在
(
まかりあり
)
候えども、先主人
松向寺殿
(
しょうこうじどの
)
御
逝去
(
せいきょ
)
遊ばされて後、
肥後国
(
ひごのくに
)
八代
(
やつしろ
)
の城下を引払いたる
興津
(
おきつ
)
の一家は、同国
隈本
(
くまもと
)
の城下に在住候えば
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
甲斐
八代
(
やつしろ
)
郡山保村大字嶺字マカド
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
肥後
八代
(
やつしろ
)
郡下
松求麻
(
まつくま
)
村字狩集
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
サドガラ 同
八代
(
やつしろ
)
郡
野草雑記・野鳥雑記:01 野草雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
同
八代
(
やつしろ
)
郡
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
八
常用漢字
小1
部首:⼋
2画
代
常用漢字
小3
部首:⼈
5画
“八代”で始まる語句
八代子
八代国治
八代洲堀
八代巣河岸
八代洲河岸