これこそ、われ等の母国日本にとって、第二の元寇である。この大敵と戦わねばならぬ末山聯合艦隊は、はたして、どこにいるのだろうか。
「この八幡さまといい亀山上皇といい、此処へ来ると何うやら遠い元寇の昔を偲びますね。もっと歴史に精しいと面白いんでしょうけれども」
“元寇”の意味
《名詞》
13世紀、当時中国を支配していた元王朝及び朝鮮において元に服属していた高麗が日本を侵略した戦い。
(出典:Wiktionary)
(出典:Wiktionary)
“元寇”の解説
元寇(げんこう)は、日本の鎌倉時代中期の1274年・1281年に、モンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻である。蒙古襲来とも呼ばれる。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。
なお、弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。
(出典:Wikipedia)
なお、弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。
(出典:Wikipedia)