“げんこう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
元寇32.1%
元弘26.4%
原稿11.3%
元亨5.7%
源公5.7%
源光3.8%
厳綱1.9%
幻香1.9%
元后1.9%
元洪1.9%
弦光1.9%
玄幸1.9%
玄黄1.9%
現行1.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これこそ、われ等の母国日本にとって、第二の元寇げんこうである。この大敵と戦わねばならぬ末山聯合艦隊は、はたして、どこにいるのだろうか。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
焼死と信ぜられてゐた正成が、吉野に兵を挙げられた護良親王と呼応して、赤坂城を奪還したのは、元弘げんこう二年の四月であつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
富士男は一枚の原稿げんこうを、ゴルドンの前においた。それには十五少年の学級と、受け持ち教導者きょうどうしゃなどがしるされてあった。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
元亨げんこうめいある海中出現の鐘、頼朝寄進の薬師堂塔、庵房のあとをめぐって、四角の竹の林から本堂にもうで、それを左へ羅漢道らかんみちにかかると、突然
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
……で、そういった塩梅あんばいでね、諏訪以来一座は解散さ。チリチリバラバラになったのさ。……随分お前を探したよ。親方にとっては金箱だし源公げんこうから見れば恋女だ。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この人は野村源光げんこうの弟子です(源光のことも、いずれ別に話します)。
東岸の公孫瓚は、敵のうごきを見て、部下の大将厳綱げんこうを先手とし、すいの字を金線でった紅の旗をたて
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きのう自分の一命を救ってくれた趙雲子龍ちょううんしりゅうを非凡な人傑とは思っていたが、まだその心根を充分に信用しきれないので、厳綱げんこうを先手とし、子龍にはわずか兵五百をあずけて
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長女いとは馬場氏に嫁し、三女とうは山内氏をぎ、次女よし、三男八三郎、四男幻香げんこうは亡くなっていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
五百の生んだ子には、弘化二年十一月二十六日うまれの三女とう、同三年十月十九日生れの四男幻香げんこう、同四年十月八日生れの四女くががある。四男は死んで生れたので、幻香水子げんこうすいしはその法諡ほうしである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
率土そっと 元后げんこういただく。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そうして一時はその御弟子に、黎元洪れいげんこうを選んだと云う事である。そう云えば机の横手の壁には、あの鰐の剥製の下に、「東南撲学とうなんのぼくがく、章太炎先生、元洪げんこう
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
藍染川と、忍川の、晴れて逢っても浮名の流れる、茅町かやちょうあたりの借屋に帰って、吉原がえりの外套を、今しがた脱いだところ。姓氏は矢野弦光げんこうで、対手あいてとは四つ五つ長者である。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
水草のも中の秋は月清し 玄幸げんこう
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
書函しょかん序あり天地玄黄げんこうさらしけり
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
私は林太郎にみられたと気づいた瞬間しゅんかんぬすみの現行げんこうをおさえられたようにびくっとした。私はとっさのあいだにごまかそうとした。
花をうめる (新字新仮名) / 新美南吉(著)