元亨げんこう)” の例文
中宮懐妊おん祈りの大修法は、すでに、おととし元亨げんこう二年の春にも聞えたことで、鎌倉が知っただけでも、これで数回なのである。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元亨げんこうめいある海中出現の鐘、頼朝寄進の薬師堂塔、庵房のあとをめぐって、四角の竹の林から本堂にもうで、それを左へ羅漢道らかんみちにかかると、突然
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この御代はなかなか文事は盛大で、元亨げんこう二年に『亀山殿千首』、三年に『亀山殿七百首』が行われたが、その年後醍醐天皇から歌集撰進の勅命が二条為藤に下った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
去年の元亨げんこう元年の夏は、近年の大飢饉ともいわれたのに、いったい公卿の行き仆れや武家の飢死うえじにが一人でもあったかい。……ええおい、そこで乳呑みを抱いている女衆よ。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぬる元亨げんこうの年、それがし、都へ出でたるには、相違ござりませねど、そは、前年の十一月、歳々としどしの恒例にて、領下の御厨みくりや貢物みつぎ、伊勢神宮に運上したてまつるお使いにてまいった帰りを
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)