わた)” の例文
見よ、人の子は罪人らの手にわたされるのだ。あ、見よ、もう我を売る者が近づいて来る。起て、我ら出て往こう。(一四の四一、四二)——
人々ひとびとこころせよ、それはなんじらを衆議所しゅうぎしょわたし、会堂かいどうにてむちうたん。また汝等なんじらわがゆえによりて、つかさたちおうたちのまえかれん。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そうして、その一度一度ごとに、私の心は沈淪ほろび患難なやみわたされるかのように、畏懼おそれ、ふるえるのでした。
瓶詰地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
よ、我なんじらをつかわすは、羊を狼のなかに入るるが如し。この故に、蛇の如くさとく、はとの如く素直なれ、人々に心せよ、それは汝らを衆議所にわたし、会堂にてむちうたん。
四節において彼は「汝の子供かれ(神)に罪をたるにやこれをそのとがの手にわたし給えり」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
時はのぼりの遲きを許さず、そは子午線を日は金牛に夜は天蠍にはやわたしたればなり 一—三
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
たとひわれわが財産たからをことごとく施し、又わがからだを燒かるゝ爲にわたすとも、愛なくば我に益なし。コリント書の一節をくちずさみながら八重子のそばにゐることを、廣太郎は幸福に感じてゐた。
濡れた葦 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
彼等は心に神を留める事を欲しないから、神も彼等を為すがままに放任して屠りにわたし給うたのである(三四の二)。
帝大聖書研究会終講の辞 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
かれらなんじらをわたさば、如何いかになにをわんとおもわずらうな、うべきことは、そのときさずけられるべし。これうものは汝等なんじらにあらず、うちにありていたまうなんじらのちちれいなり。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
私の髪毛かみのけは砂にまみれ、私の腹は岩に押しつけられております。もし私の死にたいお願いが聖意みこころにかないましたならば、只今すぐに私の生命いのちを、燃ゆる閃電いなずまにおわたし下さいませ。
瓶詰地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
他の場合には、神は信ずる者に恩恵を施してこれを救い出し給うのであるが、イエスの場合には信ずる彼に神は恩恵を拒んで、彼を死にわたし給うのだ。
十一節に、「人々汝らを曳きてわたさんとき、何を言わんとあらかじめ思い煩うな、ただそのとき授けらるることを言え、これを言う者は汝らにあらず聖霊なり」