中務なかつかさ)” の例文
平手中務なかつかさ政秀は信長のお守役であるが、前々から主信長の行状を気に病んで居た。色々といさめては見るものの一向に験目ききめがない。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
信長を育てた老臣平手中務なかつかさは諌言の遺書を残して自殺した。その忠誠、マゴコロは、さすがの悪童もハラワタをむしったものだ。
織田信長 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
藤壺ふじつぼの宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦おうみょうぶ、中納言の君、中務なかつかさなどという女房が出て応接した。
源氏物語:07 紅葉賀 (新字新仮名) / 紫式部(著)
中務なかつかさ省へ、使に走った者は、省の役人から、むずかしい法規と諮問しもんをうけて、手間どっているのであろうか、なかなか、戻ってこなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弟には忠利が三斎さんさいの三男に生まれたので、四男中務なかつかさ大輔たゆう立孝たつたか、五男刑部ぎょうぶ興孝おきたか、六男長岡式部寄之よりゆきの三人がある。いもとには稲葉一通かずみちに嫁した多羅姫たらひめ烏丸からすまる中納言ちゅうなごん光賢みつかたに嫁した万姫まんひめがある。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
家筋を思召おぼしめされ、家督は相違なく嫡子ちゃくし小平太(当年八歳、後に政永)へ下置かれるむね、月番老中本多中務なかつかさ大輔から申渡された。十一月一日、越後国頸城くびき郡高田へ国替を命ぜられ、翌年、入部した。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
けれど、吉法師きちぼうしといった幼名の頃から、何でも知っている中務なかつかさには、さすがに、それくらいしか、不機嫌を見せられなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中務なかつかさ、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
勇将弘中三河守は同中務なかつかさと共に主君晴賢の退却を援護せんが為に、厳島神社の西方、滝小路(現在の滝町)を後に当て、五百騎ばかりにて吉川元春の追撃を迎え撃った。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
また、十六歳の信長には、もう内室ないしつがきまっていた。父信秀が生前に、平手中務なかつかさ肝煎きもいりして、ようやく成立した婚約であった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あちらとの話をあきらめているのなら、左大臣とか、中務なかつかさの宮とかからのお話が来ているのだから、だれと結婚をするか決めてしまうとよい」
源氏物語:32 梅が枝 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「真田もっとも也、中務なかつかさが娘を養い置きたる間、わが婿にとあらば承引致すべし」と、云ったとある。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
つい先ごろ、中務なかつかさみや尊良たかなが四条隆資しじょうたかすけが、二度のみ使としてこの地へくだって来たとき、特に下賜された菊水紋きくすいもんの旗だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中務なかつかさの宮もおいでになりました。中宮大夫もただ今まいられます。お車の引き出されます所を見てまいりました」
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
湊川の宿につかせ給ひけるに、中務なかつかさノ宮(尊良たかなが親王)は、昆陽こやの宿におはしますほど、間近く聞き奉らせ給ふも、いみじう哀れにかなし。〔増鏡〕
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中務なかつかさの宮がお嬢さんと宰相中将との縁組みを太政大臣へお申し込みになって大臣も賛成されたようです」
源氏物語:32 梅が枝 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一ノ皇子、中務なかつかさノ宮尊良たかながは、みかどがまだ皇太子時代の寵姫ちょうき冷泉為子れいぜいためこのお腹であるが、そのおん母為子は、後醍醐の即位も見ずに亡くなっている。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中務なかつかさなどという若いよい女房たちと冗談じょうだんを言いながら、暑さに部屋着だけになっている源氏を、その人たちは美しいと思い、こうした接触が得られる幸福を覚えていた。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そのころ中務なかつかさの宮も、おん直衣のうしに太刀姿で見えられ、御随身どもと一つに、舞謡まいうたの手拍子などに興じ入られたと
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また中将とか、中務なかつかさとかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫あいぶが分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)
長崎円喜えんき、金沢ノ大夫たゆう宗顕そうけん佐介さかい前司ぜんじ宗直むねなお、小町の中務なかつかさ秋田あきたじょうすけ、越後守有時ありとき右馬うまかみ茂時しげとき相模さがみ高基たかもと刈田式部かったしきぶ、武蔵の左近将監さこんしょうげんなど、ひと目に余る。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
話が進行してしまって、中務なかつかさの宮でも結婚の準備ができたあとでこちらの話を言い出しては中将を苦しめることにもなるし、自身の家のためにも不面目なことになって世上の話題にされやすい。
源氏物語:33 藤のうら葉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「そちの身分には、あの鹿毛は、ちと過物すぎものであろうが、そちも父の中務なかつかさほどなさむらいになったら、野分ほどな駒にも乗れ。——まだ若い身に、鞍負くらまけするというものじゃ」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中将とか中務なかつかさとかいう女房は目を見合わせて
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
……その中を、だ、だ、だッと駈け下りて来る一群のうちに、一ノ宮中務なかつかさ尊良たかながの顔もあった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中務なかつかさの君
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
寄手の主先鋒は、仙石権兵衛、木村常陸ひたち、脇坂中務なかつかさ服部采女はっとりうねめなどの手勢だった。いわゆる新進気鋭の旗本たちである。奇襲、猛攻、夜襲と城兵の息もつかせず攻めた。しかし峰は微動もしない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中務なかつかさ省の御印可、無事、がりましてござります」と、復命した。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また猫背山には田村中務なかつかさ
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊具いぐは。小町こまち中務なかつかさは」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)