トップ
>
高瀬船
>
たかせぶね
ふりがな文庫
“
高瀬船
(
たかせぶね
)” の例文
郊外
(
かうぐわい
)
に
際涯
(
さいがい
)
もなく
植
(
うゑ
)
られた
桃
(
もゝ
)
の
花
(
はな
)
が一
杯
(
ぱい
)
に
赤
(
あか
)
くなると
其
(
そ
)
の
木陰
(
こかげ
)
の
麥
(
むぎ
)
が
青
(
あを
)
く
地
(
ち
)
を
掩
(
おほ
)
うて、
江戸川
(
えどがは
)
の
水
(
みづ
)
を
溯
(
さかのぼ
)
る
高瀬船
(
たかせぶね
)
の
白帆
(
しらほ
)
も
暖
(
あたたか
)
く
見
(
み
)
えて
土
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
最後に川の上を通る船も今では
小蒸汽
(
こじようき
)
や
達磨船
(
だるまぶね
)
である。
五大力
(
ごだいりき
)
、
高瀬船
(
たかせぶね
)
、
伝馬
(
てんま
)
、
荷足
(
にたり
)
、
田船
(
たぶね
)
などといふ大小の和船も
何時
(
いつ
)
の
間
(
ま
)
にか
流転
(
るてん
)
の力に押し流されたのであらう。
本所両国
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
築地
(
つきぢ
)
の
河岸
(
かし
)
の船宿から
四挺艪
(
しちやうろ
)
のボオトを借りて遠く
千住
(
せんじゆ
)
の方まで漕ぎ
上
(
のぼ
)
つた帰り
引汐
(
ひきしほ
)
につれて
佃島
(
つくだじま
)
の手前まで
下
(
くだ
)
つて来た時、突然
向
(
むかう
)
から帆を上げて進んで来る大きな
高瀬船
(
たかせぶね
)
に衝突し
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
一つの
不用
(
ふよう
)
の
分
(
ぶん
)
は
運河
(
うんが
)
から
鬼怒川
(
きぬがは
)
へ
通
(
かよ
)
ふ
高瀬船
(
たかせぶね
)
へ
頼
(
たの
)
んで
自分
(
じぶん
)
の
村落
(
むら
)
の
河岸
(
かし
)
へ
揚
(
あ
)
げて
貰
(
もら
)
ふことにして、
彼
(
かれ
)
は
煙草
(
たばこ
)
の一
服
(
ぷく
)
をも
忘
(
わす
)
れない
樣
(
やう
)
に
身
(
み
)
につけた。
土
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
築地
(
つきじ
)
の
河岸
(
かし
)
の船宿から
四梃艪
(
しちょうろ
)
のボオトを借りて遠く
千住
(
せんじゅ
)
の方まで漕ぎ
上
(
のぼ
)
った帰り
引汐
(
ひきしお
)
につれて
佃島
(
つくだじま
)
の手前まで
下
(
くだ
)
って来た時、突然
向
(
むこう
)
から帆を上げて進んで来る大きな
高瀬船
(
たかせぶね
)
に衝突し
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
黄昏
(
たそがれ
)
に
漸
(
やうや
)
く
其處
(
そこ
)
へ
繋
(
かゝ
)
つた
高瀬船
(
たかせぶね
)
が、
其處
(
そこ
)
らで
食料
(
しよくれう
)
を
求
(
もと
)
め
歩
(
ある
)
いて
遲
(
おそ
)
く
晩餐
(
ばんさん
)
を
濟
(
すま
)
してまだ
眠
(
ねむ
)
らずに
居
(
ゐ
)
たのであつたらう。
土
(旧字旧仮名)
/
長塚節
(著)
“高瀬船(
高瀬舟
)”の解説
高瀬舟(たかせぶね、高瀨舟)もしくは高瀬船とは、日本各地で使用されていた川舟、川船(かわぶね)の一種。
上代から中世にかけて主に河川で用いられた吃水の浅い小船と、近世以降に普及した、川船の代表として各地の河川で貨客の輸送に従事した船とに大別されるkotobank-高瀬舟。
(出典:Wikipedia)
高
常用漢字
小2
部首:⾼
10画
瀬
常用漢字
中学
部首:⽔
19画
船
常用漢字
小2
部首:⾈
11画
“高瀬”で始まる語句
高瀬川
高瀬舟
高瀬