とぶら)” の例文
これよりはジエノワに往きて、約束せし妻とその父母とをとぶらはんとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。
ここに播磨の国印南郡いなみのこほり七七荒井あらゐの里に、彦六といふ男あり。かれは袖とちかき従弟いとこちなみあれば、先づこれをとぶらうて、しばらく足を休めける。
彼はいう、——自分は最初無常によって少しく求道の心を起こし、ついに山門を辞してあまねく諸方をとぶらい道を修した。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
そしてわたくしはかう思惟しゆゐした。わたくしは壽阿彌の墓の所在を知つてゐる。然るにいまかついてとぶらはない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
水源に近いところに湯西川温泉という岩風呂の景勝までは、よく人のいくところだが、それより一里奥の高手と呼ぶ平家の落ち武者が営んだ部落へは、とぶらう人が少ない。
香熊 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
高野の別所に在る由の菩提の友をとぶらはんとて飄然として立出で玉ひぬ、其後の事は知るよし無し、燕のせはしく飛ぶ、兎の自ら剥ぐ、親は皆自ら苦む習なれば子を思はざる人のあらんや
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
これをもって毎歳必ず五十日あり。この日や、縉紳しんしん先生より開化処士、青年書生に至るまで、柳をとぶらい、花をたずぬるの期となせり。ゆえに妓楼ぎろう酒店しゅてんにありては、いにしえのいわゆる門日もんび物日ものびに比す。
日曜日之説 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
さて住職奥田墨汁おくだぼくじゅう師をとぶらって久闊きゅうかつじょした。対談の間に、わたくしが嶺松寺と池田氏の墓との事を語ると、墨汁師は意外にもふたつながらこれを知っていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一日あるひ左門同じ里の何某なにがしもととぶらひて、いにしへ今の物がたりして興ある時に、かべへだてて人の痛楚くるしむ声いともあはれに聞えければ、あるじに尋ぬるに、あるじ答ふ。
さらばおん身は何故に、世擧よこぞりて我を譽め我にへつらふ時我を棄てゝ去り、今ことさらに我が世に棄てられたる殘躯ざんくの色も香もなきをとぶらひ給ふぞ。われ。情なき事をな宣給のたまひそ。
吉田仲禎(名祥、号長達ちやうたつとがうす、東都医官)、木村駿卿、狩野卿雲、此四たり余常汝爾之交よつねにじよじのまじはりを為す友也。享和之二二月廿九日仲禎君と素問合読がふどくなすとてゐたりしに、卿雲おもはずもとぶらひき。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いでや浮島のヱネチアに往かん、わたつみのつまてふヱネチアに往かん。神よ、我をして復た羅馬に歸らしむることなかれ、我記念の墳墓をとぶらはしむること勿れ。さらば羅馬、さらば故郷ふるさと
で来りて、御とぶらひのよし申しつるに、入らせ給へ、一三二物隔ててかたりまゐらせんと、はしの方へ膝行ゐざり出で給ふ。彼所かしこに入らせ給へとて、一三三前栽せんざいをめぐりて奥の方へともなひ行く。
わたくしは鰥夫おとこやもめになった抽斎のもとへ、五百のとぶらい来た時の緊張したシチュアションを想像する。そしてたもつさんの語った豊芥子ほうかいしの逸事をおもい起して可笑おかしく思う。五百の渋江へ嫁入する前であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)