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はちすか
ふりがな文庫
“
蜂須賀
(
はちすか
)” の例文
蜂須賀
(
はちすか
)
名物の
猛者
(
もさ
)
、
原士
(
はらし
)
の者や若侍の面々。
曲者
(
くせもの
)
がお船蔵の方へ駈け抜けたときいて、天堂一角をまッ先に、今、ここへ殺到した。
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もと
蜂須賀
(
はちすか
)
氏の城下町でありました。あるいは「
阿波
(
あわ
)
の
鳴戸
(
なると
)
」で人々はもっと記憶するかも知れません。または
撫養
(
むや
)
の有名な
凧上
(
たこあげ
)
でこの国を想い起す人もありましょう。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
「私の
姪
(
めい
)
がこの
蜂須賀
(
はちすか
)
様に御奉公をしているんで、それでこうしてやって来ましたよ」
大菩薩峠:10 市中騒動の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
新米の
蜂須賀
(
はちすか
)
巡査は、炎熱の中に睡魔と戦いながら、
流石
(
さすが
)
にボンヤリ立っていた。
石塀幽霊
(新字新仮名)
/
大阪圭吉
(著)
英国に留学して鳥を研究している
蜂須賀
(
はちすか
)
君が
遣
(
や
)
って来て、何日目に
雛
(
ひな
)
になるかを知らせてくれと頼んで行ったが、余り遠慮をしていたのでとうとうそれを
確
(
たしか
)
めることすら出来なかった。
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
皇室の
藩屏
(
はんぺい
)
もここに土地をもつべきであると華族によびかけて、官有地からめぼしいところを払下げ、
東鷹栖
(
ひがしたかす
)
村の松平農場、深川の菊亭農場、
雨龍
(
うりゅう
)
の戸田農場や
蜂須賀
(
はちすか
)
農場そのたがうまれた。
望郷:――北海道初行脚――
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
都下の樹木にして以上の
外
(
ほか
)
なお有名なるは青山練兵場内のナンジャモンジャの木、
本郷西片町
(
ほんごうにしかたまち
)
阿部伯爵家の
椎
(
しい
)
、同区
弓町
(
ゆみちょう
)
の
大樟
(
おおくすのき
)
、
芝三田
(
しばみた
)
蜂須賀
(
はちすか
)
侯爵邸の椎なぞがある。
煩
(
わずらわ
)
しければ一々述べず。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
士風は、大いに
革
(
あらた
)
まった。半兵衛が、孫子や論語を講じる時には、
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門なども、聴講の
床
(
ゆか
)
に、欠かさず姿を見せた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門にいいつけて、十数名の
祐筆
(
ゆうひつ
)
を臨時に選び、明々と
高張
(
たかはり
)
を左右に掲げて、参陣者の姓名を
着到帳
(
ちゃくとうちょう
)
に記させた。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いかに
脅
(
おど
)
しても
賺
(
すか
)
しても
肯
(
き
)
かないのである。——すると身寄りのうちで、いっそ
蜂須賀
(
はちすか
)
村の彦右衛門様にお願いしてはとすすめる者があった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
屯
(
たむろ
)
していた城兵が、初めて、飛び上がって絶叫したのが、おかしかったのか、
彼方
(
かなた
)
に立っていた藤吉郎と
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門は、振り向いて、にっと笑った。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
和議の内交渉について、その日の昼、何度目かの会見を試みたが、やはり何の
緒
(
いとぐち
)
も見られずに、
空
(
むな
)
しく別れたばかりの
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門から、急にかさねて
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天蔵は、逃げうせたが、草の根を分けても
誅罰
(
ちゅうばつ
)
せずにはおかん。もし、彼を生かしておいたなら、土豪
蜂須賀
(
はちすか
)
は、百年の後も、野盗の徒と
過
(
あやま
)
られるだろう。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後で聞けば、その
士
(
さむらい
)
大将は、尾張
海東郷
(
かいとうごう
)
の野武士あがりの者で、猿が同じ土地の
蜂須賀
(
はちすか
)
村の野武士、小六という者のやしきにいたころに知っている人だった。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門、竹中久作、松原
内匠
(
たくみ
)
、そのほか留守居の人々が、主人の帰城を迎えに出た。そして
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
数日ののち、今浜から
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門の一行が着いた。迎えの役としてである。老母と
寧子
(
ねね
)
は
塗駕籠
(
ぬりかご
)
に乗せられた。前後についてゆく将士の装いも平和である。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
二人の旅は他国と違って、船路も
陸
(
おか
)
も関のきびしい
蜂須賀
(
はちすか
)
領、しかも、生死の知れぬ
世阿弥
(
よあみ
)
様へ秘密な手紙を持って
入
(
い
)
り込もうというずいぶん危ねえ勝負ごとだ。
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「かれは
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門の
甥
(
おい
)
ですし、いささか義に感じて、わたくしに仕えおるもの、そのへんの儀は」
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
勿論、邸の主は、この
海東郷
(
かいとうごう
)
蜂須賀村
(
はちすかむら
)
の土豪で、姓名も代々、
蜂須賀
(
はちすか
)
といい、
小六
(
ころく
)
と称している。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門殿の陣、福島正則殿の陣、浮田秀家殿の陣、黒田官兵衛殿の陣——そのほか
旗差物
(
はたさしもの
)
のひらめく所、野といわず、山といわず、畑、林といわず、到る所から一斉に
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
讃州
(
さんしゅう
)
丸亀
(
まるがめ
)
の
京極
(
きょうごく
)
、
阿波
(
あわ
)
徳島
(
とくしま
)
の
蜂須賀
(
はちすか
)
、姫路の本多、伊予の松平など、海には兵船をつらね、国境には人数を
繰出
(
くりだ
)
し、この赤穂領を
長城
(
ちょうじょう
)
の壁のように囲んで、
鏃
(
やじり
)
や
砲筒
(
つつ
)
を御家中へ向けている
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ところが、広い世の中には、誰か真を知っている者がどこかにあるもので、ここに、
阿波
(
あわ
)
徳島の
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門
家政
(
いえまさ
)
のお抱え
鎧師
(
よろいし
)
に、
柾木宗一
(
まさきそういち
)
という者があったが、この宗一の母の口から、ふと
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門が、それへ来て用向きをうかがうと
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“蜂須賀(蜂須賀氏)”の解説
蜂須賀氏(はちすかし)は、武家・華族だった日本の氏族。蜂須賀正勝(小六)が羽柴秀吉に仕えて大名となり、その息子の家政が1585年に阿波国徳島に入封。江戸時代にも徳島藩25万石の藩主を世襲し続け、維新後には華族の侯爵家に列した。
(出典:Wikipedia)
蜂
常用漢字
中学
部首:⾍
13画
須
常用漢字
中学
部首:⾴
12画
賀
常用漢字
小4
部首:⾙
12画
“蜂須賀”で始まる語句
蜂須賀彦右衛門
蜂須賀小六
蜂須賀家
蜂須賀村
蜂須賀阿波守
蜂須賀党
蜂須賀家政
蜂須賀正勝
蜂須賀茂韶
蜂須賀中納言