笠置かさぎ)” の例文
ここ笠置かさぎの城は、どっちを向いても山ばかりな一孤峰こほうだが、世間の騒ぎやかえッている人心は手にとるように聞えてくる。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちやうど春さきの、梅もちらほら咲きかけようといふ頃で、内田氏は自分の学生を十幾人か引連れて、笠置かさぎ辺の史蹟の踏査に出かけた途中であつた。
眼を遮るは濃青のうせいの脈々たる岩壁である。その下の鞍掛くらかけ岩。その左はひらけた下流の空の笠置かさぎ山。雲だ、雲だ、雲だ。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
大君のにこそ、とは日本のひと全部の、ひそかな祈願の筈である。さして行く笠置かさぎの山、とおおせられては、藤原季房ならずとも、泣き伏すにきまっている。
一灯 (新字新仮名) / 太宰治(著)
笠置かさぎの城の落ちるのも、ここ数日のうちであろう。と、神のくにに属しまつる御一方おんひとかたが、この赤坂へおいで遊ばす筈だ。……それまでどこにいようとままよ」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
笠置かさぎの山の行宮かりみやの御夢に、二人の童子が現われてくすの下を指ざし、ここばかりがせめて安らかなる御座所と、御告げ申したという記事に接するごとに、いつも子ども心には
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そう思って、大河原駅からまた笠置かさぎ、加茂と三つ手前の駅まで引き返して戻った。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
おそらくは途中で、敵兵にはばまれたせいか何かであろう。一時、洛外の醍醐寺辺にかくれ、やがて日を経てから、笠置かさぎの山へたどりついている。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐々良路ささらじの先頭を承わって来た、金沢武蔵右馬助うまのすけが、千葉介貞胤ちばのすけさだたねを相手とし、神崎かんざきの遊君人丸や、同じく遊君中将を前に、無骨者だけに笠置かさぎぜめの、手柄話を話していた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
むかし笠置かさぎ解脱げだつ上人が、栂尾とがのを明恵みやうゑ上人を訪ねた事があつた。その折明恵は質素じみ緇衣しえの下に、婦人をんなの着さうな、の勝つた派手な下着をてゐるので、解脱はそれが気になつて溜らなかつた。
去年の笠置かさぎ、赤坂の合戦へは、この伊賀からも、たくさんな参加者があったし、以後も宮方と鎌倉方とが、暗黙裡あんもくりに、ねめあっている現状なのだ。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隆貞は宮家と終始一貫、笠置かさぎの城へも籠もったのであり、赤坂の城へも籠もったのであるが、熊野落ちの際ひき別れ、一人京の地へ潜人し、この時まで様子を探っていたのであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
笠置かさぎ一味の捕虜は、後醍醐帝を流す前に、あらまし処分にふしていたのだが、なお、いろんな事情や嘆願の運動やらで、猶予ゆうよされていた者もある。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「三年前に、上人からおいとまを賜わって、笠置かさぎ田舎いなかへかくれ込んだ心蓮です。——あなたとも半年ほど、吉水で共に暮したことのあるあの心蓮です」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渓河たにがわ沿いの道を離れ、低い山の背や尾根をめぐって——笠置かさぎ街道とよんでいる細道を果てなく駈けて行くのだった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……正成にとり、宮は笠置かさぎいらい、苦憂も末の愉しみも共にしてきた無二の御知己。それをついに弑逆しいぎゃくし奉った足利兄弟は、とりも直さず正成のあだ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
したがこの良忠は、笠置かさぎ、赤坂、千早など、多年にわたって見てまいりましたゆえ、さような人物とは疑いませぬ。
「度を失わずにいられましょうか。天下は真二ツに割れ、おそれおおくも、時のみかどは、わずかな手兵を召されたのみで、笠置かさぎにおこもりと聞えますのに」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにほどのお力にもなりますまいが、ひきつれてまいった一千は、みかどの御楯みたてとなって死ぬぶんには悔いを持たぬ、笠置かさぎ、千早いらいのつわものばかりです。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家系、職掌、人となりにも、不明が多く、彼のはっきりした姿は、笠置かさぎに召されてから、湊川の合戦で、尊氏の軍に当って死ぬまでの、六年間に見られるのみだ。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、新春からは、笠置かさぎ籠城の天皇軍へ召された楠木正成が初めて宮方となって起つ辺から筆をとるつもりである。中年以上の人なら、ここらは覚えておられよう。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笠置かさぎ落ちや赤坂城の殺伐さつばつな筆に飽いたので、「群雀帖」の初めに、兼好法師の小僕の命松丸と雀のことなど書いたら、それから妙に私は雀が目につき出してきた。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしこの重いごうをのがれたいのであったら、そもそもは、元弘げんこうの初め、笠置かさぎからの天皇のお招きをお断りすればよかったのである。しかるにすすんで勅をかしこんだ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
君もまたついには、武家の膺懲ようちょうおぼし立たれ、笠置かさぎこもり、隠岐ノ島に配所の月を見るなど、おん身に馴れぬ矢石しせきの御苦難をなされるようなことにもなってまいりまする
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄の範頼を瀬田にのこし、彼の軍は、伊賀路から笠置かさぎを経て、宇治にたむろし、きょう正月の二十日、いよいよ渡河を決意して、この富家の渡しまで押出して来たのである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ずっと、都遠く離れて、笠置かさぎの山里のさる豪家の持っている山の中に、一庵を借りておりました。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奈良の興福寺の衆徒と、その衆徒が、当代の生き仏と仰いでいる、笠置かさぎ解脱上人げだつしょうにんとであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初めて笠置かさぎに召されたとき、「たのみにおもうぞ」とまで仰せられた御信頼にたいして、いささかは、おむくいを成しえたかと思い、ふと胸のどこかでホロとしたものらしかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの笠置かさぎの戦雲いらい、御領下の民情は申すにおよばず、失礼ながら、正成どのと申すお方の人となりや御一族の内状までを、つぶさに探ッては主君の許へ密報していたことにもよりまする。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いちがいに打算とのみは言いきれん。笠置かさぎ落城後、あまたな公卿は斬られ、みかどは六波羅ノ獄にとらわれ給うなどの日においてさえ、彼は北条の目をぬすんでまで、みかどにお尽し申しあげた」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おととし、笠置かさぎのあといらい。宮のありかは、熊野、伊勢、十津川の奥、高野こうやの上、さまざまに沙汰されていたが、去年の夏ごろから、吉野築城の事実が関東方にも、やっと、はっきりつかめていた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くりかえして「——笠置かさぎいらいの功臣、千早金剛でもあれほど働いた正成どのが、兵庫合戦では後陣へ廻され、またこんどもそうだとあっては、さだめし不平も大きかろうな。何か領内の不穏は聞かないか」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笠置かさぎいらいか」