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うすいとうげ
ふりがな文庫
“
碓氷峠
(
うすいとうげ
)” の例文
天文
(
てんもん
)
十五年のころ、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
の軍勢が、
上杉憲政
(
うえすぎのりまさ
)
を攻めて
上野乱入
(
こうずけらんにゅう
)
にかかったとき、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の陣中でとらえたのがこの
鷲
(
わし
)
であった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いわゆる、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
のお関所というのは、箱根のお関所と違って、それは山の上にあるのではなく、峠の麓にあるのであります。
大菩薩峠:18 安房の国の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
物心付いたのは、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の奥、めったに人も通わぬ炭焼小屋で、
岩吉
(
いわきち
)
という、山猿のような男の世話になっている時でした。
裸身の女仙
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
やがて彼は
塩尻
(
しおじり
)
、
下諏訪
(
しもすわ
)
から
追分
(
おいわけ
)
、
軽井沢
(
かるいざわ
)
へと取り、遠く郷里の方まで続いて行っている同じ街道を踏んで
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
を下った。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
是より最後の
楽
(
たのしみ
)
は奈良じゃと急ぎ登り行く
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の冬
最中
(
もなか
)
、雪たけありて
裾
(
すそ
)
寒き
浅間
(
あさま
)
下ろしの
烈
(
はげ
)
しきにめげず
臆
(
おく
)
せず、名に高き
和田
(
わだ
)
塩尻
(
しおじり
)
を
藁沓
(
わらぐつ
)
の底に踏み
蹂
(
にじ
)
り
風流仏
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
その層の一番どん底を潜って
喘
(
あえ
)
ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の第一トンネルにかかるころには、もうこの異常高温層の表面近く浮かみ上がって
浅間山麓より
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
只今とは違って
開
(
ひら
)
けぬ往来、その頃馬方が唄にも唄いましたのは木曾の
桟橋
(
かけはし
)
太田の渡し、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
が無けりゃア
宜
(
よ
)
いと申す唄で、
馬士
(
まご
)
などが綱を
牽
(
ひ
)
きながら大声で唄いましたものでございます。
敵討札所の霊験
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
一首は、まだようやく
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
を越えたばかりなのに、もうこんなに妻が恋しくて忘れられぬ、というのであろう。当時は上野からは碓氷峠を越して
信濃
(
しなの
)
に入り、それから
美濃
(
みの
)
路へ出たのであった。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
(一九一七、八、一五、於
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
)
クララの出家
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
東京では桜の時分に、汽車で上州辺を通ると梅が咲いていて、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
を一つ越せば軽井沢はまだ冬景色だ。
千曲川のスケッチ
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
その前後のことでありました、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の横川の関所から始まって、同心や捕手が四方へ飛びましたのは。
大菩薩峠:18 安房の国の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
本郷森川
宿
(
じゅく
)
を出たお綱と万吉とが、中仙道をはかどって、もうそろそろ
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の姿や、浅間の
噴煙
(
けむり
)
を仰いでいようと思われる頃、——三日おくれて、同じ中仙道の宿駅に
鳴門秘帖:03 木曾の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
どう間違っても
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の下で、裸松のために
生死
(
いきしに
)
の目に逢わせられたり、木曾川沿岸で、土左衛門の影武者におびやかされたりするような脱線のないことは保証する。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
千浪は
竹枝
(
ちくし
)
と仮に名づけて、行く行く玄蕃の
踪跡
(
そうせき
)
を尋ねながら、中仙道を大廻りして江戸に入る
心算
(
つもり
)
で、木曾路から信州路へ入り、ようやく
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
にまで
辿
(
たど
)
りついて来た。
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そういう彼はまだ
斎
(
いつき
)
の道の途上にはあったが、しかしあの
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
を越して来て、
両国
(
りょうごく
)
の旅人宿に
草鞋
(
わらじ
)
を脱いだ晩から、さらに
神田川
(
かんだがわ
)
に近い町中の空気の濃いところに身を置き得て
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
それから、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
で小諸の家老の若い者らが休息所へ来て無礼をしたから、塩沢円蔵という手代とおれと、その野郎をとらえて、向うの家老の
駕籠
(
かご
)
へぶつけてやった。
大菩薩峠:39 京の夢おう坂の夢の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
わっしは能登の
小出
(
こいで
)
ヶ崎で生れて十の時に、越後の三条にある
包丁鍛冶
(
ほうちょうかじ
)
へ、ふいご吹きの小僧にやられ、十四でそこを飛びだしてから、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の荷物かつぎやら、宿屋の風呂
焚
(
た
)
き
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
宇治山田の米友は、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の
頂
(
いただき
)
、熊野権現の
御前
(
みまえ
)
の風車に
凭
(
もた
)
れて、遥かに東国の方を眺めている。
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
なのですが、あれはハイキングのためのハイキングではなく、国道の幹線が、当然上りになっているところを上り来ったまでであり、その他に於て高いところとしては
大菩薩峠:37 恐山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
それとほぼ時は同じですけれども、ところは全然違った中仙道の
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の頂上から、少しく東へ降ったところの陣場ヶ原の上で、真夜中に焚火を囲んでいる三人の男がありました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
そうして、
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の上の駅でしたように、その駅のほとんど一軒一軒について、たずねてみると、あるところでは相手にされないが、あるところではかなり要領を得ることになる。
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
妙義も、
榛名
(
はるな
)
も、秩父を除いては見ることも答えることもできないほど微かに、信濃なる浅間の山に立つ煙がのぼるのを眺めた時に、心ある人は
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の風車を思い出して泣きます。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の時も、うっかり風車にもたれて東の国を顧望していた時に、道庵先生を見失い、ついに軽井沢の大活劇を演じて、
辛
(
かろ
)
うじて、道庵先生の命を九毛の
危
(
あや
)
うきに救い出しました。
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
三日目に二人の姿を見出したところは、もう甲州や信州ではなく、それかといって
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ現われたことは、やや飛び離れております。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
の風車の前で、東を向いてさえあの通りだ。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
幸いにして
碓氷峠
(
うすいとうげ
)
は紅葉の盛りでありました。
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
“碓氷峠”の解説
碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町の境界にある峠である。標高は956メートル (m) 。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である。峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる。
古代には碓氷坂(うすひのさか)、宇須比坂、碓日坂などといい、中世には臼井峠、臼居峠とも表記された。近世以降は碓氷峠で統一されている。「碓井峠」「碓水峠」は誤表記。
(出典:Wikipedia)
碓
漢検準1級
部首:⽯
13画
氷
常用漢字
小3
部首:⽔
5画
峠
常用漢字
中学
部首:⼭
9画
“碓氷”で始まる語句
碓氷
碓氷川
碓氷嶺
碓氷社
碓氷越
碓氷郷
碓氷関
碓氷権現