真淵まぶち)” の例文
旧字:眞淵
併し此処は真淵まぶち万葉考まんようこうで、「日はてらせれどてふは月の隠るるをなげくをツヨむる言のみなり」といったのに従っていいと思う。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
その三冊というのは、真淵まぶちの評伝と、篤胤あつたねの家庭や生活記録を主として取扱ったものと、ロオデンバッハの『死都ブルウジュ』の訳本とである。
和歌は『万葉』以来、『新古今』以来、一時代をるごとに一段の堕落を為したる者、真淵まぶち出でわずかにこれを挽回したり。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
日本で蘐園かんえん派の漢学や、契冲けいちゅう真淵まぶち以下の国学を、ルネッサンスだなんと云うが、あれは唯復古で、再生ではない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
実朝を知ること最も深かった真淵まぶち、国語をまもる意味にて、この句を、とらず。いまになりては、いずれもきことをしたと思うだけで、格別、真淵をうらまない。
すなわち池田亀鑑いけだきかん氏の調査によれば、ここの本文が「ひゝ」とあるのは上田秋成うえだあきなりの校本だけであって、中村秋香なかむらしゅうこうの『落窪物語大成』には「ひう」とあり、伝真淵まぶち自筆本には「ひと」とあり
駒のいななき (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
二十三歳を迎えたころの彼は、言葉の世界に見つけた学問のよろこびを通して、賀茂かもの真淵まぶち本居もとおり宣長のりなが平田ひらた篤胤あつたねなどの諸先輩がのこして置いて行った大きな仕事を想像するような若者であった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「おほひえやをひえの雲のめぐり来て夕立すなり粟津野の原」という真淵まぶちの歌は題詠であろうが、「おほひえやをひえの雲のめぐり来て」という調子がなだらかなため、夕立らしい勢が浮んで来ない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
和歌は万葉以来、新古今以来、一時代をるごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵まぶち出でわずかにこれを挽回したり。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
維新は、水戸義公の大日本史編纂へんさんをはじめ、契沖けいちゅう春満あずままろ真淵まぶち宣長のりなが篤胤あつたね、または日本外史の山陽さんようなど、一群の著述家の精神的な啓蒙によって口火を切られたのです。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
自分の国の方にいた頃の彼は、平田派の学説に心を傾けた父等の人達があの契冲けいちゅう真淵まぶちのような先駆者の歩いた道に満足しないで、神道にまで突きつめて行ったことをむしろ父等のために惜んだ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
真淵まぶちの如きも
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そもそも歌の腐敗は『古今集』に始まり足利時代に至ってその極点に達したるを、真淵まぶちら一派古学をひらき『万葉』を解きようやく一縷いちるの生命をつなぎ得たり。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
真淵まぶちは力を極めて実朝をほめた人なれども真淵のほめ方はまだ足らぬようにぞんじ候。真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて他の半面を知らざりしゆえに可有之これあるべく候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
真淵まぶち雄々おおしく強き歌を好み候えども、さてその歌を見ると存外に雄々しく強きものはすくなく、実朝さねともの歌の雄々しく強きがごときは真淵には一首も見あたらず候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
真淵まぶちは力を極めて実朝をほめた人なれども、真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて、他の半面を知らざりし故に可有之これあるべく候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この外『新古今』の「入日いりひをあらふ沖つ白浪しらなみ」「葉広はびろかしはに霰ふるなり」など、または真淵まぶちわしあらし粟津あわづ夕立ゆうだちの歌などの如きは和歌の尤物ゆうぶつにして俳句にもなり得べき意匠なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その歌、『古今』『新古今』の陳套ちんとうちず真淵まぶち景樹かげき窠臼かきゅうに陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事さじ俗事を捕えきたりて縦横に馳駆ちくするところ、かえって高雅蒼老そうろうの俗気を帯びず。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)