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武王
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ぶわう
武王、
(二六)木主を
載せ、
號して
文王と
爲し、
東のかた
(二七)紂を
伐つ。
伯夷・
叔齊(二八)馬を
叩へて
諫めて
曰く
又、周の
創、
七七武王一たび
怒りて天下の民を安くす。臣として君を
弑すといふべからず。
仁を
賊み義を賊む、一
夫の
紂を
誅するなりといふ事、
七八孟子といふ書にありと人の伝へに聞き
侍る。
...
臣を
以て
君を
弑す、
仁と
謂ふ
可けんや』と。
(三〇)左右(三一)之を
兵せんと
欲す。
(三二)太公曰く、『
此れ
義人也』と。
扶けて
去らしむ。
武王已に
殷の
亂を
平げ、
天下、
周を
(三三)宗とす。
(八三)殷紂の
國は
(八四)孟門を
左にし
(八五)太行を
右にし、
常山其北に
在り、
大河其南を
經しが、
政を
修むること
徳ならず、
武王之を
殺せり。
是に
由つて
之を
觀れば、
徳に
在りて
險に
在らず。