正鵠せいこく)” の例文
技巧の批評の出来ない三四郎には、たゞ技巧のもたらす感じ丈がある。それすら、経験がないから、頗る正鵠せいこくを失してゐるらしい。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
では、今日のそういう型をネオ・アンピールと呼ぶとしたらそれは正鵠せいこくを得て、内容を説明しているであろうか? 正確でも正当でもない。
文学に関する感想 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠せいこくを得ていても、なんにもならぬのである。
寒山拾得 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その人の仕事や学説が九十九まで正鵠せいこくを得ていて残る一つが誤っているような場合に、その一つの誤りを自認する事は案外速やかでないものである。
時事問題に対する先生の観察と批評は鋭くて、正鵠せいこくを得ているものが多いと思う。近衛公や木戸侯は先生の学習院時代の教え子であるためであろう。
西田先生のことども (新字新仮名) / 三木清(著)
仏蘭西人テイザン著す所の日本美術論は北斎の生涯及画風を総論してはなはだ正鵠せいこくを得たるものなり。左に抄訳して泰西人の北斎観を代表せしめんと欲す。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それはある一個の主義に終ると評する者もあるであろうが、少くとも工藝に関する主張のうち、実質的に最も正鵠せいこくを得た着想であるのを否むことができぬ。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そして遂に私の仮定が、或る程度まで正鵠せいこくを射ていることを確めた。しかしその上で、なお実際的証人を得る必要があったのだ。それで僕は急遽きゅうきょ東京へ引返した。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「大弥太殿は十津川のお方、地理にも人情にも詳しゅうござれば、申すお言葉も正鵠せいこくを射ていて、胸に落ちるでござります。……大弥太殿、そなたの意見は?」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もし先天的に存在する美の標準(あるいは正鵠せいこくを得たる美の標準)ありとするも、その標準の如何いかんは知るべからず。従つて各個の標準と如何の同異あるか知るべからず。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
……子をみる父として一応はうなずける意見だった、がはたして正鵠せいこくを射ていたかどうか。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
もし私の直感が正鵠せいこくを射抜いていましたら、影がK君を奪ったのです。しかし私はその直感を固執するのでありません。私自身にとってもその直感は参考にしか過ぎないのです。
Kの昇天:或はKの溺死 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
個人意識の勃興がおのずからその跳梁ちょうりょうに堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠せいこくを得ていない。なぜなればそこにはただ方法と目的の場所との差違があるのみである。
あるいはまた、さらに周密なる犯罪計画を練るためには、凝乎と考慮をめぐらしていたと見る人があったかも知れぬ。しかしそのいずれも、決して正鵠せいこくを射てはいなかったのであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
尋問者の方をまごつかすものですよ……それはあなたがいま実に正鵠せいこくを穿った、皮肉な観察をお述べになったとおりです(ラスコーリニコフはそんな事など何もいわなかったのである)
未だ根本の生命を知らずして、世道人心を益するの正鵠せいこくを得るものあらず。
内部生命論 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
支那事変に先立つこと二十一年、我が国の人口五千万、歳費七億の時代の著作であることを思い、その論旨のおおむ正鵠せいこくを得ていることに三造は驚いた。もう少し早く読めば良かったと思った。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
その喞筒ポンプの水の方向は或は右に、或は左に、多くは正鵠せいこくを得なかつたにもかゝはらず、かく、多量の水がその方面に向つてそゝがれたのと、幸ひ風があまり無かつたのとで、下なる低い家屋にも
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
とくにこの時局に際して正鵠せいこくを失したものであるといわねばならない。
社会事情と科学的精神 (新字新仮名) / 石原純(著)
馬琴ばきんが説いたは、まずは正鵠せいこくを得たものだろう。
ほぼ正鵠せいこくを得ているが不統一を免れない。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
そこに盲目まうもく尊敬そんけいしやうずる。盲目まうもく尊敬そんけいでは、たま/\それをさしける對象たいしやう正鵠せいこくてゐても、なんにもならぬのである。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
自分達の常識で正鵠せいこくな判断は致し難いが、土匪は、馬賊に倍する残虐と、偸盗ちゅうとう、殺戮をほしいままにすることで知られて居る。
今回の函館はこだての大火はいかにして成立し得たか、これについていくらかでも正鵠せいこくに近い考察をするためには今のところ信ずべき資料があまりに僅少きんしょうである。
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この方便門ほうべんもんを通じて出頭しゅっとうし来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠せいこくにあたれる趣味を養成せねばならぬ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「かなり正鵠せいこく穿うがったお説です」とこちらは答えた。
雷電の火の種子が一部は太陽から借りられたものであるとの考えも正鵠せいこくを得ていると言われうる。
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)