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權現臺
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ごんげんだい
ふりがな文庫
“
權現臺
(
ごんげんだい
)” の例文
太古
(
たいこ
)
遺跡
(
ゐせき
)
の
發掘
(
はつくつ
)
に、
初
(
はじ
)
めて
余
(
よ
)
が
手
(
て
)
を
下
(
くだ
)
したのは、
武藏
(
むさし
)
の
權現臺
(
ごんげんだい
)
である。それは
余
(
よ
)
の
品川
(
しながは
)
の
宅
(
たく
)
から
極
(
きは
)
めて
近
(
ちか
)
い、
荏原郡
(
えばらぐん
)
大井
(
おほゐ
)
の
小字
(
こあざ
)
の
事
(
こと
)
。
探検実記 地中の秘密:02 権現台の懐古
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
有
(
あ
)
りますとも、
第
(
だい
)
一、
品川
(
しながは
)
の
近
(
ちか
)
くでは
有名
(
ゆうめい
)
な
權現臺
(
ごんげんだい
)
といふ
處
(
ところ
)
が
有
(
あ
)
ります。
其所
(
そこ
)
なんぞは
大變
(
たいへん
)
です、
這
(
こ
)
んな
破片
(
はへん
)
は
山
(
やま
)
の
樣
(
やう
)
に
積
(
つ
)
んで
有
(
あ
)
ります
探検実記 地中の秘密:01 蛮勇の力
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
されば
余
(
よ
)
として、
終生
(
しふせい
)
忘
(
わす
)
るゝ
事
(
こと
)
の
出來
(
でき
)
ぬのは、この
權現臺
(
ごんげんだい
)
の
遺跡
(
ゐせき
)
で、
其所
(
そこ
)
の
地
(
ち
)
を
踏
(
ふ
)
む
時
(
とき
)
は
勿論
(
もちろん
)
、
遺物
(
ゐぶつ
)
の
一片
(
ひとひら
)
を
手
(
て
)
にしても、
直
(
す
)
ぐと
其當時
(
そのとうじ
)
を
思出
(
おもひいだ
)
すのである。
探検実記 地中の秘密:02 権現台の懐古
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
三十五
年
(
ねん
)
の九
月
(
ぐわつ
)
、
日
(
ひ
)
は
忘
(
わす
)
れたが
初旬
(
しよじゆん
)
であつた。それが
權現臺
(
ごんげんだい
)
最初
(
さいしよ
)
の
發掘
(
はつくつ
)
で、
其頃
(
そのころ
)
余
(
よ
)
の
宅
(
たく
)
は
陣屋横町
(
ぢんやよこちやう
)
に
在
(
あ
)
つて、
活東
(
くわつとう
)
望蜀
(
ばうしよく
)
の二
子
(
し
)
が
同住
(
どうじう
)
して
居
(
ゐ
)
た。
後
(
のち
)
に
玄川子
(
げんせんし
)
も
來
(
き
)
た。
探検実記 地中の秘密:02 権現台の懐古
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
先
(
ま
)
づ
權現臺
(
ごんげんだい
)
、
大塚
(
おほつか
)
、
洗足小池
(
せんそくこいけ
)
、
大池
(
おほいけ
)
と
過
(
す
)
ぎ、
祥雲寺山
(
しやううんじやま
)
から
奧澤
(
おくざわ
)
へ
出
(
で
)
た。
探検実記 地中の秘密:05 深大寺の打石斧
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
▼ もっと見る
斯
(
か
)
くして四
時
(
じ
)
頃
(
ごろ
)
に
發掘
(
はつくつ
)
を
止
(
や
)
め、
同邸
(
どうてい
)
を
辭
(
じ
)
し、
公爵
(
こうしやく
)
は
汽車
(
きしや
)
にて
歸京
(
ききやう
)
せられ、
博士
(
はかせ
)
と
水谷氏
(
みづたにし
)
とは、
余
(
よ
)
と
共
(
とも
)
に
權現臺
(
ごんげんだい
)
の
遺跡
(
ゐせき
)
を
廻
(
まは
)
り、それから、わが
太古遺物陳列所
(
たいこゐぶつちんれつじよ
)
に
立寄
(
たちよ
)
つて、
故
(
こ
)
飯田氏
(
いひだし
)
の
採集品
(
さいしふひん
)
を一
見
(
けん
)
し
探検実記 地中の秘密:20 大森貝塚の発掘
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
權
部首:⽊
21画
現
常用漢字
小5
部首:⽟
11画
臺
部首:⾄
14画
“權現臺”で始まる語句
權現臺貝塚