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柴又
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しばまた
ふりがな文庫
“
柴又
(
しばまた
)” の例文
日が次第に、この以後
昏
(
くら
)
くなる。唄の声(どこからか聞こえる)ぬしを松戸で、目を
柴又
(
しばまた
)
き、小岩
慕
(
した
)
えど、
真間
(
まま
)
ならぬ。
瞼の母
(新字新仮名)
/
長谷川伸
(著)
「君と、
柴又
(
しばまた
)
の
川甚
(
かわじん
)
へ行った事があったね。えらい雨に降りこめられて、飯のない
鰻
(
うなぎ
)
を食った事があったなア」
晩菊
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
柴又
(
しばまた
)
の
帝釈天
(
たいしゃくてん
)
の
境内
(
けいだい
)
に来た時、彼らは平凡な
堂宇
(
どうう
)
を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。
彼岸過迄
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
一人が
柴又
(
しばまた
)
へ走ると一人は深川の不動へ
詣
(
まい
)
り、広小路の
摩利支天
(
まりしてん
)
や、浅草の観音へも祈願をかけ、占いも手当り次第五六軒当たってみたが、どこも助かると言うもののない中に
縮図
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
渋江氏の一行は本所二つ目橋の
畔
(
ほとり
)
から
高瀬舟
(
たかせぶね
)
に乗って、
竪川
(
たてかわ
)
を
漕
(
こ
)
がせ、
中川
(
なかがわ
)
より
利根川
(
とねがわ
)
に
出
(
い
)
で、
流山
(
ながれやま
)
、
柴又
(
しばまた
)
等を経て
小山
(
おやま
)
に
著
(
つ
)
いた。江戸を
距
(
さ
)
ること
僅
(
わずか
)
に二十一里の路に五日を
費
(
ついや
)
した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
母の枕もとの盆の上には、大神宮や
氏神
(
うじがみ
)
の
御札
(
おふだ
)
が、
柴又
(
しばまた
)
の
帝釈
(
たいしゃく
)
の
御影
(
みえい
)
なぞと一しょに、並べ切れないほど並べてある。——母は
上眼
(
うわめ
)
にその盆を見ながら、
喘
(
あえ
)
ぐように切れ切れな返事をした。
お律と子等と
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
鳴雪
(
めいせつ
)
翁より贈られたるは
柴又
(
しばまた
)
の
帝釈天
(
たいしゃくてん
)
の掛図である。この図は
日蓮
(
にちれん
)
が病中に枕元に現はれたといふ帝釈天の姿をそのまま写したもので、特に病気
平癒
(
へいゆ
)
には縁故があるといふて贈られたのである。
病牀六尺
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
善吉の話によると、安蔵は去年の春の彼岸ちゅうに
鮒
(
ふな
)
釣りに出た。近所の釣り場所は大抵あさり尽くしているので、
柴又
(
しばまた
)
の
帝釈堂
(
たいしゃくどう
)
から二町ほど離れた
下矢切
(
しもやぎり
)
の渡し場の近所まで出かけたのである。
半七捕物帳:51 大森の鶏
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
あれから
柴又
(
しばまた
)
へお
詣
(
まゐ
)
りしたが、
河甚
(
かはじん
)
の
鰻
(
うなぎ
)
……などと、
贅
(
ぜい
)
は
言
(
い
)
はない。
木菟俗見
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
隆吉は、千穂子より一つ下で世間で云う姉
女房
(
にょうぼう
)
であったが、千穂子は小柄なせいか、年よりは若く見えた。実科女学校を出ると、
京成
(
けいせい
)
電車の
柴又
(
しばまた
)
の駅で二年ばかり
切符
(
きっぷ
)
売りをしたりした事もある。
河沙魚
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
須永は
呆
(
あき
)
れたような顔をして
跟
(
つ
)
いて来た。二人は
柴又
(
しばまた
)
の
帝釈天
(
たいしゃくてん
)
の
傍
(
そば
)
まで来て、
川甚
(
かわじん
)
という
家
(
うち
)
へ
這入
(
はい
)
って飯を食った。そこで
誂
(
あつ
)
らえた
鰻
(
うなぎ
)
の
蒲焼
(
かばやき
)
が
甘
(
あま
)
たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。
彼岸過迄
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
“柴又”の解説
柴又(しばまた)は、東京都葛飾区の地名。現行行政町名は柴又一丁目から柴又七丁目。住居表示実施済区域。
(出典:Wikipedia)
柴
漢検準1級
部首:⽊
9画
又
常用漢字
中学
部首:⼜
2画
“柴”で始まる語句
柴
柴折戸
柴垣
柴門
柴折
柴田
柴田勝家
柴刈
柴舟
柴漬