札差ふださし)” の例文
江戸は八百万石のお膝下ひざもと、金銀座の諸役人、前にいった札差ふださしとか、あるいは諸藩の留守居役るすいやくといったような、金銭に糸目いとめをつけず、入念で
和泉屋は蔵前の札差ふださしで、主人の三右衛門がここへ通りあわせて、鯉の命乞いに出たという次第。桃井の屋敷は和泉屋によほどの前借がある。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
でも、根気よく、構えのいい武家屋敷や、でなければ、豪家の隠宅いんたく——蔵前くらまえ札差ふださし——そんな所を、よって持ちあるいた。
野槌の百 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枕山がその叔父次郎右衛門の媒介で蔵前くらまえ札差ふださし太田嘉兵衛の女梅を後妻に迎えたのは信州より帰府した後であろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すると、その頃札差ふださしをしてゐた梅津伝兵衛といふ男が、心ばかりの寄附につきたいからといつて和尚を訪ねて来た。
当時の蔵前の札差ふださしや、浜方などとの取引関係から、数算にたけ、世估せこに長じていなければならない、いわゆる世渡り上手の人物でなければならないのに
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あれは札差ふださし檀那衆だんなしゅ悪作劇いたずらをしておいでなすったところへ、おたつさんが飛び込んでお出なすったのでございます。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
昔は蔵前くらまえ札差ふださしとか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみに使ったものだそうだが、今では、これを使う人も数えるほどしかないらしい。
野呂松人形 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
下男の圓三郎は、自分の部屋で、さしを作つてゐましたよ。手代の周次郎は、札差ふださし仲間の凉み船に行つて留守。
私の妻の祖母は——と云って、もう三四年前に死んだ人ですが——蔵前くらまえ札差ふださしで、名字帯刀御免みょうじたいとうごめんで可なり幅をかせた山長——略さないで云えば、山城やましろ屋長兵衛の一人娘でした。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
殿様は能登のと様の御勘定役ごかんじょうやく。また、奥様のお実家は江戸一のお札差ふださし越後屋えちごや
顎十郎捕物帳:16 菊香水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「私は蔵前くらまえ札差ふださしせがれで名は清一、親は香屋忠兵衛といいます、これは近いうち私の妻になる倫ですが、いったいどういう御不審でお取調べを受けるのか、それを先に聞かして頂けませんか」
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
内緒ないしょうの苦しいのが多く、うわべは大身に構えても、町人に借金があって首が廻らなかったり、また札差ふださしをさんざん強請ゆするようなことが、少なくともおのれの家に限ってはその憂いのないことと
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かく分外ぶんがい奢侈しゃし札差ふださしまたは御用達ごようたし商人の輩に多しといえり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
この家は旧札差ふださしこしらえた家で、間口が四けんに二間半の袖蔵そでぐらが付いており、奥行は十間、総二階という建物で、木口きぐちもよろしく立派な建物であったが
御藏前の板倉屋は、札差ふださし九十六軒のうちでも一流の名家で、富と力とを兼ね備へ、八萬騎の旗本や御家人を、額越しに睥睨へいげいすると言つた素晴らしい家柄でした。
両側の町家から大勢が出て来て、石でも棒切れでも何でも構わない、手あたり次第に叩きつける。札差ふださしの店からも大勢が出て来て、小桶や皿小鉢まで叩きつける。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
摺違すれちがいざまに腰をかがめていそがし気に行過ぎるのは札差ふださしの店に働く手代てだいにちがいない。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
で、どこまでも触れこみ通り、金に大様おおようつうでおきゃん札差ふださしの娘——という容子ようすになりすまし、仲居を相手に、美食のあとの茶漬好み、枝豆かなにかでお別れの一合をチビチビと飲んでいる。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桜痴居士こじは、現今の歌舞伎座を創立し、九代目団十郎のために、いわゆる腹芸の新脚本を作り、その中で今でも諸方でやる「春雨傘はるさめがさ」が、市川家十八番の「助六」をきかせて、蔵前くらまえ札差ふださし町人
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あるとき、豊国は蔵前の札差ふださしとして聞えたなにがしの老人から、その姿絵を頼まれました。どこの老人もがそうであるように、この札差も性急せっかちでしたから、絵の出来るのを待ちかねて、幾度か催促しました。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
紀伊国屋は札差ふださしで、十年以上も小出家の蔵宿をしていた。
雪と泥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
左側は、伊勢広、伊勢嘉、和泉喜などいう札差ふださしが十八軒もずっと並んでいて豪奢ごうしゃな生活をしたものである。
「そんな、大町人の旦那衆は、私どもに掛り合つてくれません。尤も、札差ふださしの旦那方にも、楊弓をなさる方はありますが、板倉屋のことは聞いたこともありません」
だんだん探ってみると、どうも浅草の札差ふださしの家らしいのですが、こうなると先方でも面倒のかかるのを恐れて、一切いっさい知らないと云い張っていますから、どうにも調べようがありません。
半七捕物帳:36 冬の金魚 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
札差ふださしの中では、代地の十一屋、天王橋の和泉屋喜兵衛、伊勢屋四郎左衛門など、大商人では日本橋大伝馬町の勝田という荒物商(これは鼠の話のくだりで私が師匠の命で使いに参った家)
さて、師匠の所有の四体の観音は、その後どうなったかというに、一つは浅草の伊勢屋四郎左衛門の家(今の青地氏、昔の札差ふださしのあと)、一体はその頃有名だった酒問屋さかどんやで、新川の池喜いけよしへ行きました。