時人じじん)” の例文
その暴状ぶりは当時戦乱に馴れた時人じじんをしてさえ「前代未聞ぜんだいみもん……」と、眉をひそめさせた程とあるから、よほどひどかったものらしい。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いかにそれが気味のわるい飛石にしろ!——こういうとヴェルツは、その「自画像」に記して時人じじんに示した著名な文句を、そのまま繰り返すに相違ない。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
痴情ちじょうのためにその身を亡し親兄弟に歎をかけ友達の名をはずかしめたる事時人じじんの知るところなり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
其の前を礼拝らいはいして過ぐるのを見た、と云われたほど時人じじん尊崇そんそうされた菅三品の門に遊んで、才識日に長じて、声名世にいた保胤は、に応じて及第し、官も進んで大内記だいないきにまでなった。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
帝これを嘉賞かしょうし、故翰林かんりん学士、ほうれんの遺子黛女たいじょを賜う。黛は即ちふんの姉にして互いに双生児ふたごたり。相並んで貴妃きひの侍女となる。時人じじんこれを呼んで花清宮裡かせいきゅうり双蛺そうきょうと称す。時に天宝十四年三月。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
寺僧じそう時人じじんと、ともに、沈光ちんくわうんで、肉飛仙にくひせんふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
吉川元春は、時人じじん梅雪と称した。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
むしろ、清盛の頭上には、清盛以上にも、政略奇謀を好み給う後白河上皇がおいでになるのを、時人じじんもみのがしておりません。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝廷の積弊せきへいや、後醍醐の無謀もわかりながら、ついに彼が、菊水の旗をここに持ったのは、要するに正成は、同じ時人じじんではあっても、天性
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時人じじんの心理は、まさに今、夜の明けたような曙色しょしょくを欲していた。明るさに向ったときは明るい色を、身にも世間にもいろどりたいのが本能だった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時人じじんの一部には、いや後の或る史家なども、彼のそうした行動をさして、信長の勤皇は、人心収攬じんしんしゅうらんの一策であり、政治的に皇室の尊厳そんげんを認めて
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてそのことが後には逆に、野心満々な時人じじんからは、物足らない人と見られて、やがては彼から人の離れて行く、一因にもなっていたかと思われる。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さずけた家康という者こそ——時人じじんはまだ東海の一若将としかこの頃では注意していなかった風だが——まことに油断のならない存在といわねばならぬ。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歴史と、時人じじんの診斷簿。これは、密接だ。ぼくら作家も、時には、醫眼を借りて、史を觀ることも、必要だ。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
兼好法師の“徒然草つれづれぐさ”には、この資朝のひとりを、こんな風に、時人じじんの聞き書きとして随筆している。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを聞くには、時人じじんはもう余りにも現世的な快楽主義に惑酔わくすいし、成りゆき主義に馴れすぎていた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
となす印象を、時人じじんに深くしたことの方が、六波羅には、さしあたっての焦慮しょうりょだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人の後ろにかがんでいては恩賞にもにもならぬ。そのままにさえ踏みつけ去られる。これが時人じじんのあたまにあった。道行く列のいろなども、つまりは、おれ見よがしの流行だろうか。
おそらく時人じじんがみな、そんなふうに、宮のご胸中を推量していたものではあろう。とにかく、時局の不利、その禍因のとがすべてを一身のめに負わされた犠牲者として、人々は宮をいたんだ。
が、それほど彼女の容色ようしょく時人じじんに記憶されていたのは事実である。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その醜態を時人じじんみな「見苦しかりける有様なり」とわらった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もっとも、時人じじんの言葉には、こんなささやきまであった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、迷信を打破して時人じじんへ示したのも入道であった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)