徳川家康とくがわいえやす)” の例文
うまくやったのは猿面さるめん秀吉ひでよし、山崎の一戦から柴田しばた佐々さっさ滝川たきがわも眼中になく、メキメキ羽振はぶりをあげたが、ずるいやつは徳川家康とくがわいえやすだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四月三十日のひつじこく、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟あさのたじまのかみながあきら大御所おおごしょ徳川家康とくがわいえやすに戦いの勝利を報じた上、直之の首を献上けんじょうした。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
慶長の末ごろに小幡景憲が『甲陽軍鑑』を書いたのであったとすれば、そのころにもう徳川家康とくがわいえやすの新しい文教政策は始まっていたのである。
徳川家康とくがわいえやすと云うようなかんがえがあって、ソレから割出わりだして聞た所が、今の通りの答に驚いて、是れは不思議と思うたことは今でもく覚えて居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
徳川家康とくがわいえやす(従五位上侍従このとき三十一歳)は紺いろにあおいの紋をちらしたよろい直垂ひたたれに、脛当すねあて蹈込ふみこみたびをつけたまま、じっと目をつむって坐っていた。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
およそ古今武将の中で、徳川家康とくがわいえやすという古狸ふるだぬき位、銭勘定の高いやつは無いとじゃった。欲ばかり突張っていたその為に、天下も金で取ったようなもの。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
アメリカの初代大統領しょだいだいとうりょうのジョージ=ワシントンといえば、日本にっぽんでは鎌倉幕府かまくらばくふをひらいた源頼朝みなもとのよりともか、江戸幕府えどばくふをひらいた徳川家康とくがわいえやすとおなじようなものです。
またむかし武田勝頼たけだかつより三河みかわ長篠城ながしのじょうを囲み、城中しょくきもはや旬日じゅんじつを支え得なかった時、鳥居強右衛門とりいすねえもん万苦ばんくおかして重囲をくぐり、徳川家康とくがわいえやすまみえて救いを乞い
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
一六〇〇年、関ヶはらの一戦に大勝した徳川家康とくがわいえやすは、必然に、権力者となった。家康は、豊臣氏の権力を奪ったのではない。天皇の権力を奪ったのでは、もちろんない。
徳川家康とくがわいえやす公以来の名臣、大老土井利勝どいとしかつや、酒井忠勝さかいただかつなどという人たちは、天魔太郎のにくしみも一倍で人さまにはいえないほどのひどい目にあわされ、若年寄りの一部には
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
徳川家康とくがわいえやす!」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
わたくしは遠江とおとうみ浜松はままつにご在城ざいじょうの、徳川家康とくがわいえやすさまのおんうちでお小姓こしょうとんぼぐみのひとり、万千代まんちよづきの星川余一ほしかわよいちというものでござります
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ななめに見た標札屋ひょうさつや露店ろてん天幕てんとの下に並んだ見本は徳川家康とくがわいえやす二宮尊徳にのみやそんとく渡辺崋山わたなべかざん近藤勇こんどういさみ近松門左衛門ちかまつもんざえもんなどの名を並べている。こう云う名前もいつのにか有り来りの名前に変ってしまう。
浅草公園:或シナリオ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ここしばらく、京都に滞在たいざいしている徳川家康とくがわいえやす陣営じんえいへにわかに目通りをねがってでたのは、梅雪入道ばいせつにゅうどうであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
井伊の陣屋のさわがしいことはおのずから徳川家康とくがわいえやすの耳にもはいらないわけにはかなかった。のみならず直孝は家康にえっし、古千屋に直之なおゆき悪霊あくりょうの乗り移ったために誰も皆恐れていることを話した。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)