“廼(すなは)” の例文
韓王(かんわう)始(はじ)め非(ひ)を用(もち)ひず、急(きふ)なるに及(およ)んで廼(すなは)ち非(ひ)を遣(や)りて秦(しん)に使(つか)はす。秦王(しんわう)之(これ)を悦(よろこ)び、未(いま)だ信用(しんよう)せず。李斯(りし)・姚賈(えうか)、之(これ)を害(い)み之(これ)を毀(そし)つて曰(いは)く
「日本書紀」には、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天の浮橋の上に立たして、共に計りて、底つ下に国や無からんとのり給ひて、廼(すなは)ち天(あめ)の瓊矛(ぬぼこ)を指しおろして、滄海を探ぐりしかば是(ここ)に獲き。 ...
日本天変地異記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
我黨は廼(すなは)ち五大洲を睥睨(へいげい)して彼の千魂萬魂といはれたりし怪物、わが日の本の鴎外將軍が審美の利劍に劈(つんざ)かれて、つひにこそそが正體をあらはしつれと、洽(あまね)くとつ國びとにのらまくす。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役(プルチネルラ)に打扮(いでた)ちたる一群戲(たはむれ)に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼(すなは)ちこれに對して論じていはく。君よ。
老子(らうし)、(一一)道徳(だうとく)を修(をさ)む、其學(そのがく)は自(みづか)ら隱(かく)して名(な)無(な)きを以(もつ)て務(つとめ)と爲(な)せり。周(しう)に居(を)ること之(これ)を久(ひさ)しうして、周(しう)の衰(おとろ)ふるを見(み)、廼(すなは)ち遂(つひ)に去(さ)つて、(一二)關(くわん)に至(いた)る。
大忠(だいちう)は(九〇)拂辭(ふつじ)する所(ところ)無(な)く、(九一)悟言(ごげん)は(九二)撃排(げきはい)する所(ところ)無(な)く、廼(すなは)ち後(のち)に其(その)辯知(べんち)を申(の)ぶ。此(こ)れ親近(しんきん)せられて疑(うたか)はれず・(九三)之(これ)が難(じ)を盡(つ)くすを知(う)る所以(ゆゑん)也(なり)。