建立こんりふ)” の例文
大丈夫の一世に立つや、必らず一の抱く所なくんばあらず、然れども抱く所のもの、必らずしも見るべきの功蹟を建立こんりふするにはあらず。
人生に相渉るとは何の謂ぞ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
わたくしのつかへまつる聖母さま、おんみの為に、わたくしの悲しみの奥深く、地下の神壇を建立こんりふしたい心願にござります。
「和尚様、ほんのいさゝかではござりまするが、こゝに金子きんすが五百両ござりまするから、今度の三門の御建立こんりふへ是非お加へおき下されまするやうに。」
然るに千五百七十六年女王エリサベスの時代に至り、始めて特別演劇興業の為め、ブラツク・フラヤス寺院の不用なる領地に於て劇場を建立こんりふしたり。
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
信心には限りがない、建立こんりふ修覆しゆふくの場合隨分五十兩百兩と寄進する人もないとは申されぬが、賽錢箱へ小判で五兩は、あまり聽いたことがないことぢや
村一同むらいちどうことづけをたのまう。はしら一本いつぽんいたゞく……鳥居とりゐのな。……あといくらでも建立こんりふするから、とつてな。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
圓道右に爲右衞門左に朗圓上人中央まんなかに坐したまふて、圓道言葉おごそかに、此度建立こんりふなるところの生雲塔の一切工事川越源太に任せられべき筈のところ
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
戸籍は島田町にあつて、町の北半里ばかりの傳心寺に住んでゐる。傳心寺は桑原氏が獨力を以て建立こんりふした禪寺で、寺祿じろくをも有してゐる。桑原氏累代るゐだい菩提所ぼだいしよである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
即ち二千年前の建立こんりふにして、その樣式希臘ギリシア時代の粹と稱せらる。この祠、見苦しき酒店一軒、貧しげなる人家三棟、とうもて作れる小屋三つ四つ。是れ世界に名高きペスツムの村なり。
付ず取調て御見分ごけんぶんの御役人へ御わたし申すべしと細々こま/″\御遺言ごゆゐごん有て終にむなしく成給ひし然ば泣々おほせの如く取計ひ御石碑せきひをも建立こんりふして御後の取まかなひ萬事すませ後下人共へは御紀念かたみ金を分與へて暇を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
西本願寺が買取つて一宇を建立こんりふしたのだ。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
が、その後も、やはり伊留満のなりをして、方々をさまよつて、歩いたものらしい。或記録によると、彼は、南蛮寺の建立こんりふ前後、京都にも、屡々しばしば出没したさうである。
煙草と悪魔 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ずゐ沈光ちんくわうあざな總持そうぢ煬帝やうだいつかへて天下第一てんかだいいち驍捷はやわざ達人たつじんたり。ていはじめ禪定寺ぜんぢやうじ建立こんりふするときはたつるに竿さをたか十餘丈じふよぢやうしかるに大風たいふうたちまおこりてはた曳綱ひきづないたゞきよりれてちぬ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
京都の空與上人くうよしやうにんをことの外御信心で、上人しやうにんの爲洛北に一の堂を建立こんりふする爲、二千兩の寄進に付きましたが、表沙汰になると、何かと手續きが面倒、そつと勘定奉行に内意を含め
前掛で顏を被つて、崖の中腹に建立こんりふしてあつた、地藏樣を抱いて、——
「ところが土地の者が承知しねえ。いかにも畑は黒木長者のものに相違ないが、地藏樣は昔から此處にあつたもので、誰がこせえたのか、誰が建立こんりふしたかわからない筈だ。いかに長者の威勢でも、神樣や佛樣が儘になるわけはねえと來た」