いくばく)” の例文
瑞仙が六十二歳を以て江戸に召された時、弟玄俊は六十歳を以て京都に居残り、いくばくもあらぬに死んだ。京水の記にはかう云つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いくばくもあらぬに我等は又羅馬に歸りぬ。姫は二三週の後には尼寺に返り給ふべく、返り給ひては直ちに覆面の式を行はせらるべしと傳ふ。
枕山がこの夜席上の作に「同社幾存仍幾没。廿秋多雨又多陰。」〔同社いくばくカ存シすなわチ幾カ没ス/廿秋多雨又多陰〕の語を見る。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それから両人は互に文通して、励まし合つてゐたが、いくばくも無くスタインホイザアが瑞西スイスのベルンで卒中そつちうたふれてしまつた。
しこうして露艦いくばくもなく去り、た為すべき無し、ここにおいてか十二月復た江戸に来れり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
会葬者には赤飯あかめしに奈良漬、味噌漬を副へた辨当が供せられた。初め伊沢氏で千人前を準備したが、剰す所はいくばくもなかつたさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いくばくもあらぬに、ベルナルドオがきず名殘なごりなくえ候ひぬ。彼人も君の御上をば、いたく氣遺きづかひ居たれば必ず惡しき人と御思ひしなさるまじく候。
忠正は日々にちにち巴里市内を行商せしが業務たちまち繁栄しいくばくもなくして一商店を経営するに至りぬ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
玄機が李のしょうになって、いくばくもなく李と別れ、咸宜観に入って女道士になった顛末てんまつは、ことごとく李の口から温の耳に入っていたのである。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓ゲツトオに濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオが逢ひしは此時なり。いくばくもなくして彼公子身まかりぬ。
保は浜松表早馬町おもてはやうまちょう四十番地に一戸を構え、後またいくばくならずして元城内もとじょうない五十七番地に移った。浜松城はもと井上いのうえ河内守かわちのかみ正直まさなおの城である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
若し更に蘭軒の次年戊子元旦の詩註を取つて合せ看るときは、榛軒の妻ゆう来嫁らいかの後未だいくばくならずして懐胎したことが知られるであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
常に弊衣をていた竹逕が、その頃から絹布けんぷるようになった。しかしいくばくもなく、当時の有力者山内豊信とよしげ等のしりぞくる所となって官をめた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
周策はのち生徒の第二次募集に応じて合格し、明治十年に卒業して山梨県に赴任したが、いくばくもなく精神病に罹ってめられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
未だいくばくならぬに、竜池はまさ刑辟けいへきに触れむとしてわずかに免れた。これは女郎買案内を作って上梓じょうしし、知友の間にわかった事が町奉行の耳に入ったのである。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一たび欵待かんたいせられたものは、友をいざなって再び来る。玄機がかくを好むと云う風聞は、いくばくもなくして長安人士の間に伝わった。もう酒を載せて尋ねても、逐われるおそれはなくなったのである。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)