幼子おさなご)” の例文
いや、乳の香ふかく、ふところに眠っていた幼子おさなごへ、母の頬をすりよせたまま、涙の面を上げなかった彼女のほんとの意志は
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも二三人、しかもやっと口をきけるほどの幼子おさなごまでいる。このお母さんはどうしたって未亡人ではない。
オカアサン (新字新仮名) / 佐藤春夫(著)
次の部屋の真中まんなかで、盆に向って、飯鉢おはちと茶の土瓶を引寄せて、此方こなたあかりを頼りにして、幼子おさなごが独り飯食う秋の暮、という形で、っ込んでいた、あわれ雛妓おしゃく
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わたしは黒々としたもみの木に、くっきりとした長いかげを岩の上へ投げかけさせました。わたしは幼子おさなごイエスをかたにのせた聖クリストファの画像をながめました。
全く目があかないほど眠いのであった。幼子おさなごが夕食を食べながら居眠るように、幾日か続いた強行軍で、兵士が歩きながら眠るように、それと同じく眠いのであった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
あたしは聖母せいぼマリア、幼子おさなごキリストの母です。おまえは貧乏びんぼうで、その日のものにもこまっていますね。あたしのところへおまえの子どもをつれていらっしゃい。あたしがその子を
いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の御像おすがたにも似ていないのでございます。別してあの赤裸あかはだか幼子おさなごいだいてるけうとさは、とんと人間の肉を女夜叉にょやしゃのようだとも申しましょうか。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いとうべくきらうべく、面につばきをしようと思うばかりだとも言い、かかるともがらと大事を語るのは、幼子おさなごにむかって天を論ずるが如きものだ、思えば自分ながら我も敵を知らざる事の甚だしきだと
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
祥子さちこと同い年でも、ずっと小柄な、いたいけな幼子おさなごが、白く濃く白粉を塗り、青く光るほど紅を塗って、人形のようなおかっぱで、重たい衣裳をつけて、踊る舞台は、佐四郎人形を見るようであった。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
今になっても、時々範宴を子ども扱いするように、玉日をも、幼子おさなごのままに見て、膝の上へでも乗せそうに呼ぶのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにしろ、きょうは聖母せいぼさまの日だろう、聖母さまが幼子おさなごキリストさまの肌着はだぎをせんたくして、かわかそうという日だからね。ところが、あしたの日曜にちようには、おきゃくさんがおおぜいくる。
その下に、女たちや、幼子おさなごの悲鳴が聞えた。年景の側女そばめだの、家族たちのいる棟へも、とうに火は移っていたのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、煙の裡に、泣きさけぶ嬰児あかごの声が聞えた。見ると、年景の妻が、幼子おさなごの手をひいて、発狂したように、炎へ向って、なにかさけんでいるのだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし敵の手に捕われて、そちがえなき死をとげた場合は、あとにのこる妻や幼子おさなごのことなど必ず案じるなよ。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、高氏が鎌倉に残してきた妻の登子とうこ幼子おさなごたちの未解決な運命などもこれからの課題である。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幼子おさなごらは、何も知らないのだ。母とも一つには住めぬことになる。留守中、泣かぬように遊び相手になってくれい。そうだ今のうちに、子供らへも、父からひとこと
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後白河法皇の皇子八条宮に坊官として仕えている卿公きょうのきみ円済というのはそのむかし、平治の乱の雪の日、常磐ときわの手にひかれて生死をさまよい歩いた幼子おさなごたち三人のうちの一人なのである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ここを追われて行ったからには、大和やまとの龍門にいる身寄りしか、ほかに頼ってゆく家はない筈だ。……乳呑みを抱いていたか、幼子おさなごを手に曳いていたか。よしっ、まだ遠くへは落ちまい」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私にも、幼子おさなごがありまする。どういうものか、生れつきの脾弱ひよわで、この十日程まえからまた、寝ついたきりで、しょくも細るばかりゆえ、さる所へ、祈願を籠めにまいった途中でございまする。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平治の乱の後、彼は彼の意志で、一族の反対にもかかわらず、牛若たち三人の幼子おさなごは助けている。つづいて頼朝の助命は、一に池ノ禅尼の命乞いによると、従来の歴史ではきめられている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)