天水桶てんすいおけ)” の例文
それだけのことで、木之助にはいつもと様子が変ったような、うとましい気がした。門をくぐってゆくと、あの大きい天水桶てんすいおけはなくなっていた。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
「そのほう儀、去る二十九日、横町の質屋の猫を天水桶てんすいおけに突っこんで、そのまま窓からほうりこんだに相違あるまい。まっすぐに申し立ていッ——」
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そういう家の前を離れると、すぐ傍が黒い蔵であったり、木口のよい板塀であったりして、天水桶てんすいおけや、金網をかけた常夜燈じょうやとうともっていたように覚えている。
板倉屋敷のそばまで行くと、角のもち屋の天水桶てんすいおけや一ト手持てもち辻番つじばん小屋の陰からムラムラと人影が立ちあがった。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
なに此奴こいつは其の方の家来だと、しからん無礼な奴、武士の供をするなら主人の側に小さくなってるが当然、しかるになん天水桶てんすいおけから三尺も往来へ出しゃばり
ガラッ八は舌鼓を一つ、大急ぎで、路地を出ると、天水桶てんすいおけの蔭へ蝙蝠こうもりのようにピタリと身を隠しました。
「或る町かどへ来る、左側になにかの商家があり、窓の下に天水桶てんすいおけが積んである」と芳村が話していた
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
見る見る歯医者のうちの前を通り過ぎて、始終僕たちをからかう小僧のいる酒屋の天水桶てんすいおけに飛び乗って、そこでまたきりきり舞いをして桶のむこうに落ちたと思うと
僕の帽子のお話 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それから麦酒樽ビイルだる天水桶てんすいおけの上にし忘れたままの爪革つまかわだった。それから、往来の水たまりだった。それから、——あとは何だったにせよ、どこにも犬の影は見なかった。
保吉の手帳から (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
天水桶てんすいおけぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分だいぶ骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造わかぞうが二人いる。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
つい其所そこ天水桶てんすいおけに吸いついてしまうと、夜の蝙蝠こうもりが、のぞいて見てもわからぬ程だ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
あの洲崎で君が天水桶てんすいおけへ踏みこんで濡鼠ぬれねずみになった晩さ、……途中水道橋で乗替えの時だよ、僕はあそこの停留場のとこで君の肩につかまって、ほんとにおいおい声を出して泣いたんだぜ。
遁走 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
こけの生えた御影石みかげいしの敷き石の両側に恰好かっこうのいいどうだんを植えて、式台のついた古風な武家づくりの玄関といい、横手に据えられた天水桶てんすいおけ代りの青銅の鉢といい、見上げるような屋の棟や
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
嫁入り道具一式を売る向いの古い反物屋の前に据えた天水桶てんすいおけに、熱そうな日が赫々かっかと照して、埃深ほこりぶかい陳列所の硝子のなかに、色のめたような帯地や友染ゆうぜんが、いつ見ても同じように飾られてあった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
引っ返してくる跫音あしおとに、庄次郎はまた、逃げだした。濡れた浴衣ゆかたすそすねにからみついて、とても、長途ながみちはむずかしい。秋葉神社の方へ向いて、半町ほど走ると、いき船板塀ふないたべいが見え、天水桶てんすいおけがあった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かたわらの天水桶てんすいおけのかげにひそんでいた黒影一つ、やにわに、刀とからだがひとつになって、飛びこんできた。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
天水桶てんすいおけがあって——桶といっても上に乗っている手桶だけ木で、下の天水桶は鋳鉄いものが多かった。かなりいい金魚が飼ってあるので、金網を張ってあるのもあった。
細い手の幽霊いや柳の木に天水桶てんすいおけか、うんそうじゃない、浪人者は柳田典藏で、細い手と云うのは勇治とかいう胡麻の灰という事が分って、お処刑しおきに成ると云う話だ
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
わたしは路ばたの天水桶てんすいおけうしろに、網代あじろの笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その他の特色を云うと、玄関の前に大きな鉄の天水桶てんすいおけがあった。まるで下町の質屋か何かを聯想れんそうさせるこの長物ちょうぶつと、そのすぐ横にある玄関のかまえとがまたよく釣り合っていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それを踏んで大屋根の上に登った平次、天水桶てんすいおけを覗いて思わず歓声をあげたのです。
天水桶てんすいおけと金看板の行列に、陽が、かんかん照っている。磯五は、手をあげて、むこうの一軒をゆびさした。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「親分、怪物えてものは隣の天水桶てんすいおけを踏台にして、ひさしを渡って二階へ押し込んだんだね」
侍「これ藤助、その天水桶てんすいおけの水を此の刀にかけろ」
そのあいだチョビやすはうしろの町家の天水桶てんすいおけのかげにしゃがみこんで、地面へ敷いた手拭の上へ
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)