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午年
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うまどし
ふりがな文庫
“
午年
(
うまどし
)” の例文
本郷菊坂に
世帯
(
しょたい
)
を持って居りましたが丁度あの
午年
(
うまどし
)
の大火事のあった時、
宝暦
(
ほうれき
)
十二年でございましたかね、其の時私は十七で子供を産んだのですが
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
安政五年の七月から八、九月にかけて、江戸には恐るべき
虎列剌
(
コレラ
)
病が流行した。いわゆる
午年
(
うまどし
)
の大コロリである。
半七捕物帳:55 かむろ蛇
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
一々
(
いちいち
)
女の名と、
亥年
(
いどし
)
、
午年
(
うまどし
)
、幾歳、幾歳、年齢とが
彫
(
ほ
)
りつけてございましてな、
何時
(
いつ
)
の世にか、諸国の
婦人
(
おんな
)
たちが、
挙
(
こぞ
)
って、
心願
(
しんがん
)
を
籠
(
こ
)
めたものでございましょう。
春昼
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
構
(
かま
)
へ是へ御
引移
(
ひきうつり
)
有
(
ある
)
べしとて此旅館の
借
(
かり
)
受方には伊賀亮が
内意
(
ないい
)
を受則ち常樂院が出立する事にぞ
定
(
さだ
)
まりぬ頃は
享保
(
きやうほ
)
十一
午年
(
うまどし
)
三月
朔日
(
ついたち
)
常樂院は美濃國
長洞
(
ながほら
)
村を出立し道を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
「
箒星
(
ほうきぼし
)
ですよ。
午年
(
うまどし
)
に北の方へ出たのも、あのとおりでしたよ。どうも年回りがよくないと見える。」
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
▼ もっと見る
七日には浜町の神戸方へ、兄が
末期
(
まつご
)
に世話になった礼に往った。西北の風の強い日で、丁度九郎右衛門が神戸の家にいるうちに、神田から火事が始まった。歴史に残っている
午年
(
うまどし
)
の大火である。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
「あの、お君や、もし年を聞いたら十九で、
午年
(
うまどし
)
の男と言うように」
大菩薩峠:12 伯耆の安綱の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
享保十
巳年
(
みどし
)
も
暮
(
くれ
)
明れば
同
(
おなじ
)
き十一
午年
(
うまどし
)
の元日
天神丸
(
てんじんまる
)
には吉兵衞
始
(
はじ
)
め船頭
杢右衞門
(
もくゑもん
)
水主
(
かこ
)
十八人
水差
(
みづさし
)
一人
都合
(
つがふ
)
二十一人にて元日の
規式
(
ぎしき
)
を取行ひ三が日の
間
(
あひだ
)
は
酒宴
(
しゆえん
)
に日を暮し
己
(
おの
)
が樣々の
藝
(
げい
)
盡
(
つく
)
して
興
(
きよう
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
島路を
彼方
(
かれかた
)
へ遣わしては
如何
(
いかゞ
)
との仰せに助七は願うところと
速
(
すみや
)
かに媒酌を設け、龜甲屋方へ婚姻の儀を申入れました処、長二郎も喜んで承知いたしたので、文政五
午年
(
うまどし
)
三月
一日
(
いちにち
)
に婚礼を
執行
(
とりおこな
)
い
名人長二
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
又は煉瓦造に成りましたので、マア火事がございましても、焼ける道が塞がって居りますから、大きな火事がございませんが、開けぬ昔は折々大火がございました事で、
丑年
(
うしどし
)
の火事、
午年
(
うまどし
)
の火事
塩原多助一代記
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
結
(
むすび
)
し
藤井左京
(
ふぢゐさきやう
)
と云者あり此頃藤が原へ尋ね來り暫く食客と
成
(
なり
)
て居たりしが時は享保十一
午年
(
うまどし
)
正月五日の事なりし朝より
大雪
(
おほゆき
)
の
降出
(
ふりいで
)
しが藤井左京は大膳に向ひ
某
(
それが
)
し
去冬
(
きよとう
)
より
此山寨
(
このさんさい
)
へ參り未だ
寸功
(
すんこう
)
もなく
空
(
むなし
)
く
暮
(
くら
)
すも
殘念
(
ざんねん
)
なり我も貴殿の門下となりし手始めに今日の雪を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
午
常用漢字
小2
部首:⼗
4画
年
常用漢字
小1
部首:⼲
6画
“午”で始まる語句
午
午後
午飯
午前
午餐
午過
午睡
午頃
午砲
午食